8.迷う瞳
自室のドアを開けると、中は静かなままだった。
TVは消えたままで、やりたいって言っていた新作ゲームをしている様子がない。
中途半端にパッケージが開けられたまま、テーブルに放置されていた。
リョーマ用に甘めにしたカフェオレと自分用のコーヒーを、とりあえずテーブルに置く。
部屋に戻った千石にも気づかずに、どこか心あらずな様子のリョーマがいるソファーに近寄っていく。
千石が隣に座ったことで沈み込んだソファーに気づいて、ようやくリョーマは顔をあげる。
「…………キヨスミ? なんで、いるの?」
「そりゃ、いますよ。ここオレの部屋だもん」
相当重症だな。たまった息を吐き出しながら、切り出すタイミングを窺う。
リョーマは考え疲れたのか、身体の重みをそっくり千石に預けてもたれる。
この前からずっと深く思い悩んでいる様子に、千石も気づいていた。
そろそろ頃合かと思って、物思いから浮かんで来た頃に声をかける。
「なにかあった? それって、手塚くんが九州に行く関係だったりする?」
「な……んで?」
言い当てられた驚きで、声が掠れた。項垂れていた顔をあげて、千石を鋭く見返す。
「リョーマくんのことなら、オレにはなんでもわかっちゃうんだよね〜」
茶目っ気たっぷりにウインクして、水平に広げた手を顔の横にあてて、得意気な顔をする。
より不審というか不愉快そうに眉間の皺を深められて、慌てて否定した。
「まぁ、大体の推定なんだけどね。
手塚くんの腕が不調なのはウチにも流れてきてるし、そっちの方に青学の系列病院があるから、
もしかしてそうかなって思って」
「ま、そうっちゃそうなんだけど」
率直に語る。この程度の情報ぐらいちょっと調べれば、すぐにわかる。
周知の事実だから、隠すことでもない。
「オレにリョーマくんがいま思ってること全部聞かせて。人に話すと、整理がつくこともあるからさ」
いまだ思い悩む顔に顔を近づけて、おでことおでこをこつんとあわせる。
リョーマはそこに穏やかな瞳をみつけて、じっと見入った後に素直に頷いた。
千石の胸に、ぽすんと顔を埋める。
とつとつと語り出すリョーマの声が、千石の身体に響く。
「…………うまく……言えないんだけど、このまま……全国に部長が間にあわなかったらイヤだなとか」
大丈夫大丈夫と伝えるように、リョーマの背中を右手でさする。
「俺に後を任せちゃっていいのかとか。……あと」
なにも言わずに、何度も早い呼吸を繰り返す。
重なりあっている体から、運動している最中のように弾んでいるリョーマの心臓の音が聞こえてきた。
どうして、彼にこんな重たいものを背負わそうとするんだろうか。
彼に寄せる期待、寄せたくなる気持ち。どちらもわかる。
わかるけれど……、こんなにも独りで思い悩んでいる姿を見てしまうと、わかりたくないと思ってしまう。
こんな姿、誰にも見せない。──だから、彼がまだ子供で12歳でしかないことに、誰も気づかない。
そうやって、重過ぎるものをまた一つまた一つと幾つも背負わされていく。
周りだけでなくて、本人ですら重荷ではなくそのことを当然だと受け入れているから、無理しないでいいよって言ったって
なに言ってんのって笑い飛ばされるだけで──。
目にかかった前髪を鬱陶しそうにかきあげて、千石は自嘲じみた笑みを浮かべる。
千石だけに見せる小さな甘え。彼の性格からして親しくなければ悩む姿さえ見せないし、
見せてもくれなかった訳で、ハチミツのようにどろっとした溢れんばかりの甘い愛しさと、
恥ずかしい優越感におそわれる。
相反する気持ちをひた隠して、千石の腕の中にすっぽり入って隠れてしまうぐらい小さな身体を
ただそっと抱きしめた。
「部長は、すごく強くて。いつか倒すけど、まだ倒せてないから──。俺……」
見つからない答えがそこにあるかのように、ぎゅっと爪が食い込むほど強く手を握り締める。
「何が言いたいんだか、よくワカンナイよね。ゴメン」
あはっと明るく笑って無理矢理ごまかそうとしていたけど、それは成功していなかった。
力を入れすぎているリョーマの手をさすって、力を抜くように訴える。
「いいよ。一人で悩んでいるより、聞かせてくれた方が嬉しいから。それに、オレにはわかったよ」
うんうんと、自信たっぷりに頷いてみせる。
「リョーマくんは、手塚くんのことが心配なんだよ。
で、目標にしてる手塚くんが怪我していて、
まだ手塚くんには敵わないって思ってる。そんな自信がない自分が、手塚くんの代わりに部
を背負って立てるのかが不安なんでしょ?」
「アンタって…………、たまにすごいよね」
思わずと言った風に、リョーマから感心した声が漏れる。
「たまには、余計だって。リョーマくん」
自分のキャラの認知度を思いやって、千石は苦笑する。すぐに顔を真剣な表情に戻す。その様子を
リョーマは黙ったまま見あげる。
「それは、青学の皆も同じことだと思うし、リョーマくんだけが気負って頑張る必要はないよ」
ぽんと気安く肩をたたいて、
「むしろさ、リョーマくんは自分のことだけ考えていた方がいいかもね。結果が後から付いてくるってタイプだし」
「──俺が、人のことを考えられないってこと?」
ちょっと心にひっかかったのか、右眼を顰める。
「え? そうじゃないの?」
「俺の人間性を誤解してるよ」
憤然とした顔で、そっぽを向く。
「メンゴメンゴ、リョーマくんは、みんなのことも考えてるイイ子だよ。
だから、こんなに悩んでる。オレは、ちゃんとわかってるから」
褒めるように癒すように、リョーマの頭を優しく何度も撫でる。
「──別に、そんなんじゃないよ」
慣れないことを言われるのが照れくさくて、ごつんと頭を胸に乱暴にぶつけた。
***
なにか得体の知れない恐怖から、必死に逃げていた。走っても走っても、まとわりつくモノから逃れられない。
呼吸を荒げながら、上にかけられていたタオルケットをはねのけて飛び起きた。
途端に自覚する嫌な感触。身体にどっと沸いてきた冷や汗で、べたつく体が不快でしょうがなかった。
落ち着こうとして、何度も深い呼吸を繰り返す。
ようやく少し落ち着いてから、隣で何も知らずに平和に眠っている男の鼻をつまむ。んんっと
苦しそうにもがいてしばらくして、ようやく千石が起きる。開いた瞳と目があって、
それを見て安心したように元のベットにばたりとリョーマは倒れこんだ。
すっかり覚醒した千石は、リョーマの顔を心配そうに覗き込む。
「……どうしたの?」
「ん。ちょっと、やな夢みた。でも……、よく覚えてない」
閉じていた目を開けて、長い瞬きをする。思い悩む瞳は、憂いに沈んでいた。
「そっか」
思い出したくないぐらい嫌なことなのかもしれない。それ以上の追求はせずに、軽口を叩く。
「じゃあさ、そういうこと全部忘れることしよっか?」
冗談混じりだったのに頷かれて、上に乗る千石の首に細い腕が伸びてきて
求めるようにキスをされた。エアコンにあたっていたリョーマの唇はいつもと違ってほんのり冷たくて、
熱を与えるようにキスをする。
唇と声に熱と艶が生まれた時には、お互いの熱はすっかり高まっていた。
唇を離さないまま、深く深くと求めるように何度も唇を重ねあわせる。
間になにも入りこめないように、指と指をしっかりと絡める。
「──平気だからっ」
切迫した口調で早くと繰り返すリョーマを宥めるように、瞼にキスをする。
「いいから。ちょっと待って」
上に重なる身体をずらして、お互いのものをぐにぐにと擦りあわせる。
柔らかくなっていたものにすぐに熱がともって、溢れ出てきた先走りの液がお互いの性器を濡らして
擦れあう度にぐちゅぐちゅと濡れた音を立てた。
自分でする時と比べて早すぎるスピードと異なる刺激。
ダイレクトで直接的な刺激から逃れるように、リョーマは身体をくねらせる。
「はぁ、あ、あふっ…んぅ」
口を開け、感じてしまってたまらないと悶えるリョーマの姿に、物理的刺激以上に興奮が加速する。
千石を誘うように、秘められた入口の方へとどろっとした粘液が流れていく。舐めてもいないのに、そこは液に塗れて濡れててらてらと光っていた。
ごくりと唾を飲み込んだ後、自分のもので塗り込めるようにぐちぐちと動く。
何もしていない時よりは綻んでいるようだけど、まだかな。
痛いほどに興奮している自分を自覚しながら、リョーマに痛みがないように探っていると、リョーマが自分から足を開いて、千石の身体を挟みこんできた。
少しだけ入りかけた先端を追いかけて、腰に力を入れてぐっと内部に迎えいれる。
「──っ! んん!」
リョーマの額に脂汗がどっと浮かぶ。辛そうに、早い呼吸を繰り返す。
「ほら、無理するから」
「だい…じょうぶだって」
奥歯を噛みしめて頑として譲らないリョーマを見て、強情さに笑う。
笑っては見たものの、先端だけ辛うじて入っている千石の方も笑ってはいられない状況で、
「──いくよ」
急激に深まった繋がりに、頼れるのはこれだけと言わんばかりに繋いでいる手にぎゅっと力を入れる。
リョーマと同じぐらい強く千石も力を込めた。
「構ってあげないと、ここも寂しいって」
「やっ、あぁ」
美味しそうにリョーマの乳首をちゅぱちゅぱと舐めしゃぶり、ころころと舌で粒を転がしながら、話す千石。
熱い息が敏感にされた先端にかかるだけで、リョーマの身体が小刻みに震える。
意識が下半身から逸れて力が抜けた隙に、華奢な腰骨にぶつかる勢いで千石が腰を突き入れた。
「あぁっ────!」
衝撃が走る。骨ごと砕きそうな勢いで、繋いだ手に力を込める。食い込む爪の痛さに、
千石が情けない悲鳴をあげながら顔を苦痛で顰める。
「リョーマくん、もうちょっと力抜いて、ねっ?」
「俺の方がいたい! それぐらい我慢しろよっ」
それを聞いて黙っていられなくなったリョーマは、反射的に文句を言う。
腹から声を出した所為で内に含んだものの存在をより意識してしまい、後の方は言葉にならずに悶える。
「ぁっ…」
ずりずりっと内部を擦りながら少しづつ、中から引き抜かれていく。
ゆっくりした感じが、含んだ千石のものをリョーマにリアルに知覚させる。
(そこまでしろとは、別に言ってないのに……)
後戻りが出来ないほど熱くなっているのは千石だけじゃなく、リョーマもそうだった。
次の瞬間、そんな甘い考えが一瞬で引っ繰り返された。
もう少しで先端の方が抜けそうと感じていたら、前よりももっと奥まで一息で刺し貫かれる。
声も出せず、背中をそらしてのけぞった。じんと甘く痺れる余韻に、切ない呼吸を繰り返す。
リョーマが息を整える間も与えず、ゆるやかに抜き差しされる。
この荒療治の所為なのか、千石の動きにはなんら支障がない。
接合部から、ぐちゃぐちゅと言った濡れた音が暗い室内に大きく響き渡る。
堪えても堪えても、リョーマの口からは声がどうしても甘く漏れてしまう。
リョーマが痛がらなくなったのを見てとって、千石は愛しげに目を細めてそっと微笑んだ。
「すごくカワイイから、もっともっと感じて」
ちゅっと音を立てて、頬に瞼に額に髪にと口付けされる。
口を塞げば声はしないと思ったリョーマは、千石にキスを求める。
「ふっ…んぅ…んっ」
声が出せない分、出口を求めた熱が内にこもって解放を求めて暴れ出す。
悪戯な舌に敏感な上顎を舐められて、びくびくと痙攣したように身体が打ち震えた。
「俺の背中に、手まわして」
子供に言い聞かせるような優しい声。おずおずと指示に従って動く手を、こっちこっちと誘導する。
「傷つけてもいいよ。リョーマくんになら、なにされてもいいんだ」
「バーカ」
散々悪態をつきながら、千石の広い背中にしがみついた。
「こんなに可愛いリョーマくんがオレのものだなんて、すごい嬉しい」
満面の笑顔で、べた褒めする千石。
「俺は俺だから、だれかの所有物になる気はない」
鉄壁のクールで、断言する。
リョーマらしいとは思うけど、ちらっと甘いことを期待していた千石はがっかりする。
「けど……」
「えー。なになに?」
言葉を濁すリョーマを追い詰めるように、千石は急に腰を打ちつけるペースを速める。
「ぅあ、あぁん」
思わず漏らした声を不覚だと思いながらキッと睨み付けてから、さっき高い声を出した所為で掠れた声で一言。
「アンタは、俺のものだからね」
自分のことはきっぱりと断っておきながら、すごいわがまま。
独占欲と強引さが可愛くて嬉しくて、もうたまらない。
「うん。いいよ。リョーマくんに、俺のこと全部あげる」
繋がった身体を力強く抱きしめて、耳元で囁く。
「──ねえ、リョーマくんも、俺のものになって」
「やだって、さっき言った」
「いいじゃん。たまにとか、ちょっとだけとか、八分の一位オレのもので我慢するからさー。いいでしょ?」
「やーだ」
「ケチ。じゃ、このままでもイイんだ?」
意地悪そうに右の唇をつりあげて、微笑む。リョーマの中に入ったまま、千石はピクリとも動かなくなった。
ずっと快感を与えられていたリョーマの方が、先に焦れた。
自分から快感を求める為に腰を動かしたくて、しょうがない。そうかと言って、ここで負けを認めるのも嫌だ。
「…………もう、アンタとはシない」
じれる身体を堪えるように唇を噛みしめて、リョーマは首を振る。
「それは、ダメだよ! 他の誰かとこんなことしちゃ、絶対ダメ!」
パニクる千石を見て勝ち誇ったようにニヤリと笑ってから、千石の首に齧りつくようにキスをした。
*
雨にしては少ないし、水にしてはあったかい。温かい液体が連続して、頬の上にぽたぽたと落ちてきた。
(これって……。涙? ……泣いてるの?)
驚いて、リョーマは眼を開けた。
千石は明るい茶色の瞳から、声も出さずに涙を流していた。
すぐに顔を隠すように、ぎゅっと胸元深くにまで身体を抱き込まれた。
リョーマが起きたことに、千石は気がついていないみたいだ。
──気づかれちゃいけない。
一瞬でそう判断して、ぎゅっと目をつぶる。
見てはいけないものを見ている気がして、しょうがなかった、
泣いてるところなんて初めてみたから、どうしていいのかわからない。
目を閉じたまま、たったいま見たばかりの千石の泣き顔をぼーっと思い出していた。
まるで、見惚れてしまったかのように。
(あんな風に、泣くだなんて……)
ふいに、閉じている視界がいびつな黒い渦を描きながらぐらりと歪む。
頭が痛くなるこの感じは、最近よく見る悪夢ともどこか似ていた。具体的なことはよく覚えてないんだけど、
募る切迫感と逃れられない絶望感が交互に押し寄せてくる嫌な感じだけははっきりと覚えている。珍しく悩んでいたから、その所為で変な夢を見るんだと、リョーマは考えていた。
(そっちはどうでもいいけど、なんで泣いてるの?)
気づかれないように寝たフリをしていると、ぐるぐると考えこんでいる内に寝てしまっていた。
甘くて切なくて、賑やかだったりもする甘い夜。もうすぐ夏休みです。
07/08/07 up