LOVE LOST 9

9.募り出すジレンマ

 太陽熱でじりじりとアスファルトが熱せられ、グラウンドもからからに乾いていて水分の欠片も感じられない。光合成を求める植物ですら、過剰すぎる光を避 けようと葉が しなしなとなっている。
 暑いのは夏だから、仕方がない。そんな割り切り方をしようとしても、目につくモノは目につく。
「アレを見てると、余計暑くなりますね」
「ああ、まったくだ」
 仮にも先輩である男をアレ呼ばわりする後輩に苦笑しながらも、南もあえて指摘はしない。
 心底だる〜っと言った体で、ベンチに寝っ転がってひたすらだらだらうだうだしているだけの男。そんな奴に、何の遠慮や配慮をする必要があるだろうか。い や、ない。絶 対にない。
 午後になってキツサを増した日差しに照らされて、オレンジ頭は益々眩しい程で余計に目にあまる存在になっている。
 そろそろ活でも入れにいくか。ちらっと千石の様子を窺ってから、コートに運ぼうとしていたボール籠を室町に託す。マイナスな存在を、どん底なまでのマイ ナスに貶めて はいけない。どんな効果を発揮するのかわからない危険要素は、とりあえずは除いておいた方がいいだろうという南の部長としての冷静な判断だった。
 コートに突如広がる喚声。この場所には似つかわしくない賑やかさだ。一体なにがあったのかと目を向けて、 目を見開く。 開いていたフェンスの入口から、強引に自転車で中に入ってきた者がいる。
「スイマセン! 止まらなくって」
 澄んだ声の主に注目すると、三年間通ってすっかり見慣れた山吹の夏服を着ていた。──それも、女子の。短めのプリーツスカートが風ではためいていて、皆 の視線 が集中していた。
「わあー! 越前くん、ほんとに着てくれたんですね!  それ、すごく似合ってますっ!」
 走っている自転車を追いかけて、興奮した声でまくしたてる壇。瞳がきらきらと輝いている。
「…………嬉しくは……ないけど。……ま、サンクス」
 褒められたらしいので、リョーマは一応お礼を言う。
「いつまでだらだらしてるわけ?  早く乗ってよ」
 千石が寝そべっているベンチの周りを回転して、目覚まし時計のように賑やかにベルを鳴らす。
「え……、リョーマくん。なんで?」
「早く後に乗って」
 なにがなんだかよくわかっていない千石は言われるがまま、スピードが落ちた自転車の荷台に飛び乗る。
「じゃ、コレ借りてきますから。お騒がせして、スミマセンっした」
 恋人であるはずのリョーマにまで物扱い呼ばわりされる千石に、ほんの少しだけ憐れみを覚える。その遠慮のなさは、リョーマがそれだけ千石と親しい仲なの を南 にわからせもした。突拍子の無さで定評のあるのは千石だったはずなのに、天才肌の少年も予測は出来ないらしい。規格外という意味では、二人は似た者同士 だっ た。
 小柄だし小作りで女性的な顔立ちだから、スカート姿でも違和感はない。率直に可愛いって言える方だと思う。──こんな格好をなんのためにって言う と……、やっぱりアレだ。アレしかな い。クールで定評のある青学のルーキーにそんな変化を与えた千石は、それがいいのかはわからないがすごい……のかもしれない。
 女好きな千石に男の恋人が出来たと聞いた時も驚いたし、どうせいつものようにすぐに飽きるだろうと予測していた。南の予測に反して未だ飽きる様子もな く、むしろ益々熱を 上げる一方で近頃ではオーバーヒートを起こしているのを感じとって少しだけ危惧していた。いままでと違いすぎるからだとは思うが、まっすぐ過ぎる気持ちが 傍から見ていて恥ずかしくもあり眩しくもあった。
「いいや、持っていてくれると助かるぜ」
 微かな苦笑と共に、南は手を振って快く見送った。
「彼って、ほんとにユニークですよね」
 後から見ていた室町がつくづくと言った感じでそう言って、サングラスを指で押し上げる。
 そう言う おまえも十分にユニークだぞと、南はユニーク過ぎる自分の後輩に内心ではツッコミを入れながら聞いていた。





  後ろに重荷を抱えながらも、立ちこぎでリョーマは軽快にペダルをこぐ。前からきた風で、スカートがひらひらと時折瞬く。
 暑いから、身体の周囲をくすぐる ような風が気持ちいい。爽快感に束の間酔っていたが、聞かなくてはならないことに千石はようやく気 づいた。
「リョーマくん、どうしたの? それに、この制服っていうか、スカート!」
 周りから注目されている気がする。特に、男からの視線が鬱陶しい。力強くペダルをこぐ度にスカートの裾から露わになりる白い足に、リョーマではなくて 千石の方があわわっと焦りに焦る。
 焦っている内に中に穿いている黒いスパッツが見えて、安心感を覚えるというか無性に残念でもあって、心中複雑な気分に なった。それはそれとして、千石以外に見せるなんてもっての外だ。もったいなすぎる。
「オレ、代わる!」
 背後からリョーマの肩に手をかけて、止まってと頼む。
「ダメ。とまれないから」
 素っ気なく却下される。よく考えるととんでもなくすごいことを言われたということに気づいて、叫ぶ。
「ちょっ、それ! すごい危ないじゃん! 早くブレーキして、オレが身体で止めるから! 早くっ!」
「ウルサイッ! つべこべ言わないで、俺にしっかりつかまって 。飛ばすよ」
 ただでさえ坂道なのにそこに更にペダルを漕げば、スピードはぐんぐん加速する。慌ててリョーマの肩に、しっかりと手をかける。瞬時に景色が目まぐるしく 変わってい く。
「────ちょっ! わー!」
「人の耳元で叫ぶな。ウルサイ!」
 耳をつんざく声がやかましくて、リョーマはいまの状況も忘れて反射的に険しい顔で後ろへ振り返る。
「ま、前見てよ、前!」
「え?」
 一面に広がるコンクリートの白い壁。リョーマは慌てて急ブレーキをかけながら、ハンドルを右に切る。キキーっと耳障りな軋み音を立てながら、壁すれすれ で曲 がりきって、同時にほっと安堵の溜息を洩らした。
「アンタの所為だからね!」
「前を見てないリョーマくんがいけないんだよ!」
 安心した分だけ、急な状況の変化の原因にお互いに文句をつけあい出す。
「バカ声をアンタが出さなきゃ、平気だった!」
「…………危ないことしないでよ」
 言い合いに発展しそうになったが、思いつめたような千石の呟くような声を聞き咎めて、リョーマは何かを言おうとして押し黙る。
 何か言おうとして何度か唇を開きかけて、この状況であやまるのもオカシイ気がして何を言っていいかわからない。
 考えることをリョーマは諦めて、さっきよ りペダルに力を込めて自転 車をこぎ出した。



***

 氷帝学園部室。
 がちゃがちゃとドアノブが乱暴な音を立ててドアが開くなり、賑やかな声が降ってきた。
「跡部ー。おまえのカワイイお友達が来てるぜ。帰る途中だった俺が、わざわざ案内してやったんだ。感謝しろよな」
 顔は真顔にしているが抑えきれない笑いをケタケタと洩らしながら、向日は跡部の背中を気安く叩く。不機嫌そうに跡部が窺うと、向日の身体の脇からひょ こっと リョーマが顔を出す。
「──いつから、てめぇの友達になったんだ?」
「ああ、それ。別に、いいじゃん」
 リョーマは、そのことを全く気にしている様子がない。これでは、そんな言葉尻を気にしている跡部の方が大人げないように見える。まだニヤニヤとした笑い を顔に張りつけている 向日の足を、跡部は腹いせに踏みつけた。
「おまえの顔がムカついた。悪いな」
「おまえなぁ、それであやまってるつもりかよ」
 チョモランマより高い跡部のプライドをからかおうとした時点で、この位は覚悟していたのでこの程度の反撃は許容範囲内だった。
「ま、いいや。俺、帰っから。じゃあな」
 跡部相手に細かい事を気にしても仕方がない。一度だけでも跡部をからかえて満足したのが、向日は素直に帰っていく。 まさか、明日には越前との関係をあ ることな いこと喋って鬱憤を晴らす予定があったことを跡部が知っていたら、素直には帰さなかっただろう。
 
 向日が出て行ったので後ろを振り返れば、他校の部室だというのに空いている机の上に気楽に腰を落ち着けてリョーマは無作法にくつろいでいた。自由すぎる リョーマ に、跡部は渋面を作る。手っ取り 早く用を済ませる為に、仕方なく相手をすることにする。
「──で、なんの用だ?」
「ああ、ちょっとキヨスミのことでさ」
「千石か。奴がどうしたって」
 千石の名を聞いた瞬間、眉間に皺が寄る。ただでさえ乗っていなかった跡部の気分は、更に乗らなくなった。
「アンタ、キヨスミの喜ぶこと知らない? 最近、元気なくてさ」
 トモダチでしょ?というリョーマの無邪気な問いに、気色が悪くなるものを感じながら渋々答えを返す。
「そんなもん知るかよ」
 千石の病気というか持病みたいなものだ。恋人を一瞬で失う恐怖──その恐怖は、他人がどうこう出来るものでもない。例え、事情を知っている跡部でも。当 事者でありながら、自分の運命を知らないこの少年にもだ。
「役立たず」
 跡部の内心が伝わる訳もなく、何の回答も得られなかったリョーマは勝手な文句をつける。
 ふざけんじゃねえと舌打ちしてから、リョーマに視線を落とす。
「…………おまえがやることなら、奴はなんだろうと喜ぶんじゃねえの」
 リョーマに見入るようにじっと見つめられて、跡部はやましい訳ではないが真っすぐな視線が眩しく感じて顔を逸らす。
 他の誰よりも色濃く存在を主張していると言うのに、いつかは…………。
 ふっと息を漏らして、千石の感傷に引きずられそうになったのを感じて思考をそこから切り離す。過去の記憶が連鎖しているので、一度引きずられると跡部に とっても面倒くさいことになるのだ。跡部にしてみれば勝手に事情を垂れ流されて、毎度ながらい い迷惑としか言いようがない。ここにはいない相手に、胸中で毒づく。
「──なんだ。まだ文句があるのか?」
「いや、役には立たなかったんだけど、ありがと」
「どんなイヤミだ」
「そうなんだよね。キヨスミって、俺がなにしても喜ぶんだよ。アンタに言われて、再認識した」
 男に惚れるような趣味がない跡部でも、恋人のことを思って笑う少年の顔にはっとする。そんなことはなかったかのように、跡部はあっさりと言う。
「はっ、今度は、ノロケかよ。俺様相手にそんなことをするのは、おまえぐらいだろうな」
「へえ、貴重な初体験ってヤツ?」
 まるで、いいことをしてあげたみたいなニュアンスで話すリョーマに、ついつい口を挟まずにはいられない。
「おまえ、千石には話すなよ。アイツのことだから、誤解すんだろ」
「アンタって、顔と態度によらずトモダチ思いだよね」
「アイツがギャアギャアうるせぇだろ。それが鬱陶しいだけだ」
「よくわかってんじゃん。ヒマがあったら、話しとく。ちょっと楽しそうだし」
 嫌気な顔をする跡部に見せつけるように、ふふっと可笑しげに含み笑いをする。
 跡部で遊ぶだけ遊び、話すだけ話して気が済んだのか、リョーマは跡部を部室に残してさっさと帰ろうとしている。ドアに手をかけた少年の背中に 、跡部が声をかける。
「家まで送ってやる」
「え? まだ、こんな時間だし、ヘイキだけど……」
 部活が終わってから来たから、話して時間が経ったとはいえ、まだ午後8時代。十分、まだ平気な範囲だと思う。苦虫を噛み潰したような顔の跡部を見て、 リョーマはニヤッと笑う。
「そんなに俺のことを心配してくれるって言うなら、送ってもらってあげてもいいよ。車なの?」
「一言多いガキだな。ついでだから、乗せていってやってもいいぜ」
「はいはい。わかったわかった。素直じゃないよね、アンタって」
「おまえに言われたくねえ。素直に礼を言いやがれ」
「Thankyou」
 これで、いい?と言って、首を傾げる。
「だから、それが一言多いって言うんだ」
 あはははっと笑い出す少年の首根っこを掴んで、乱暴に部室のドアを閉めた。



「間にあって、よかった」
 少し日差しを和らげた太陽がまだ空に残っていた。あと二時間近く遅かったら、間に合わなかったかもしれない。
「ほら、とっとと降りて」
 あんなに停まれないと言っていたはずなのに、リョーマはペダルから足を放して自転車の重心を横にして足を地面につける。地面に先に足がついた千石は、荷 台から降りる。
「これって…………」
「全部ヒマワリ。すごいよね」
 太陽の輝きに眩しげに眼を細めながら、リョーマは千石に嬉しそうに笑いかける。
 視界に入る眩しいぐらいに明るい黄色。一、二、三と数えているだけで日が暮れてしまうことは間違いないほど、たくさんの向日葵。大きな向日葵が太陽に向 かって、すくっと首を伸ばしている。花には興味がない千石も一瞬言葉を失ってしまうぐらい壮観だった。
「こんなに沢山咲いている所なんて、初めて見た。すごいね」
「でしょ? 俺も、こんなの生まれて初めて見た。ね、見てると楽しくならない?」
 それって俺だけ?
 千石の反応が薄いので、リョーマは自問自答している。
「どうして?」
 気になった千石がさりげなくを装ってそっと聞いてみると、
「ヒマワリって、キヨスミに似てるなって…………思って」
 最後に付け足しのようにぶっきらぼうにそう言って、リョーマは千石へ背中を向ける。
「見てるだけで元気になる感じが似てる」
「……そ……う、かな」
 似ているといえば、向日葵が太陽を眺めるようにリョーマをずっと追っている所は似ているかもしれない。ただの花である向日葵に新たな意味と想いをリョー マが追加してくれたことが嬉しくて、涙腺が刺激されて言葉が詰まりそうになる。
「そうだよっ! だから、とっとと調子なおせよ」
 あー、もう。俺、なにやってんだろ。
 うめくようにそう言って頭を抱えるように両手をあてて、リョーマはしゃがみこむ。
「ねえ、聞いていいかな?」
「ダメ」
 くすくすと笑いだしそうな気配を千石から感じて、きっぱりとそれ以上聞かれることを拒絶する。
「どうして、制服着てるの?」
「さっき、ダメって言っただろ」
「ねえねえ、どうして?」
「太一が……」
 しぶとい千石の追及に逃れられないと思ったのか、リョーマは重い口を開く。
「壇くんがどうしたって。んー?」
「アンタが女好きだって、だから──」
「ちょっ、オレ、女好きじゃないよっ! リョーマくん一筋だもん。………………いまは」
 言いよどむ千石にキッとキツイ視線を浴びせて、勢いよくぱっと立ちあがる。リョーマが立ち上がった拍子に、プリーツスカートが揺れた。
「嬉しいよ……。リョーマくんのすることなら、なんだってね」
 その言葉に瞳を和らげて、複雑な口調でリョーマが話しだす。
「アンタと跡部さんって……、結構仲いいよね。跡部さんも同じようなこと言ってた」
 複雑そうな面持ちで、唇をかみ締める。
「そんなの、俺も知ってたけど」
 嫉妬しているような口振りを可愛く感じて、千石は頬を緩ませる。
「だって、オレの為にリョーマくんがしてくれたんでしょ。オレだけの特別だから、すごくすごく嬉しい」
 リョーマは千石の胸に頭をとんと軽くあてて、顔を埋める。山吹のユニフォームの色のグリーンと髪の毛のオレンジで、ほんとに向日葵みたいだ。いま気がつ いたこと が可笑しくて、くすっと笑う。
 ユニフォームの裾を手でつかんで、背伸びをする。太陽から掠め取るようにキス をした。


「──その手、なに?」
 お尻の方をもぞもぞと這いまわろうとする不埒な手に気づいて、リョーマはピクッと柳眉をあげる。
「いや〜、男の子の本能ってヤツ? これは仕方ないよ、うん。仕方ない」
 更に大胆にスカートの上を這いまわり、あらぬ所を弄ろうとする千石の手を容赦なく捻りあげる。かなり、色んな意味で元気になったようだ。そういう事を想 定していなかったという とウソになるけど、早すぎる。
「じゃ、帰ろ。ほら、乗って。……なにやってんの? アンタが前に決まってるだろ」
 なにも考えることなく、行きと同じように荷台にまたがろうとする千石を制止して、自転車のハンドルを持たせる。帰り道の順路を頭で追ってみて、千石はあ ることに気がついた。
「……確か帰りってさ、上り坂がすごく多くない?」
「それが? 筋トレになって、丁度いいじゃん」
「…………そ、そうだよね」
「さ、決まったことだし、出発!」
 後輪の軸に足をかけて、リョーマは身軽に後ろに飛び乗った。 
「ねえ……。オヤジに見つかるとウルサイから、キヨスミの家行っていい?」
 気温も下がって徐々に高ぶっていた気持ちが冷めてきたいまになって、勢いでこんな格好をしてしまったことが恥ずかしくなってきた。青学の皆に見られるの は恥ずかしいし、ウチのバカでエロいオヤジに見られたら物凄く面倒なことになりそうだ。
「OK! 我が城へ喜んで、姫をご招待します!」
 鬱状態を脱して、ハイテンションモードになったらしい。ニヤケタ千石の笑顔が気持ち悪い。とても嬉しい妄想をしていることが、リョーマによーくわかっ た。言う前からそういう展開になるんだろうなってと想定はしていたけれど、千石のあの様子だとほんとにそうなりそうだ。
 諦めたような受け入れたような笑みを仄かに浮かべて、きゅっと千石の首に腕を巻きつけた。






夏休み中の出来事。キヨスミのお家に帰ってからのことが気になります。
08/04/20 up
BACK TOP NEXT