2.初めてのデート
普段は携帯頼りなので珍しくつけている腕時計と広場の時計台の時刻とを、ついつい何度も見比べる。時刻は、まもなく先週約束したデートの待ちあわせの時
間になりそうだ。
両方の時計の針が午前10時ジャストを指すが、周りにまだリョーマらしき人物は見当たらない。
五分過ぎてもまだ姿が見えないリョーマの事を思うと、それだけで気が焦ってくる。
電話でもしようかと、リョーマの番号を出した所で手が止まる。いくらなん
でも、それは早すぎる。まだ遅刻の範疇にも入らない。
デートの約
束をしてもいつも遅刻して来た在りし日のリョーマの事を思い出して、千石は気持ちを持ち直した。
(俺ってば、焦りすぎてんなぁ。もっと人間として、男として、余裕を持たなきゃ駄目だよね)
自分にツッコミを入れて、気分を落ち着かせる為に一度大きく深呼吸をする。そんな事をしていると、通りの向こうから走って来る少年の姿が見えた。
彼はどこにいても目立つから、すぐにどこにいるのかがわかる。皆の視線が彼に集まって来るからって言うのもあるし、華やかなオーラとか人を惹きつける光
みたいなものが自然と放たれているからだと思う。
駅前の広場にはまだ人待ち顔の人がたくさんいる中で、リョーマがもうすぐ来る事が解った瞬間、自分だけが一歩抜きん出た感じで気持ちがよかった。ほん
と我ながら、現金だけどね。
焦っていた証拠を隠滅する為に、この日のデートの為に買ったばかりの黒のパンツに手にかいていた汗をごしごしと擦りつけた。
俺の待っている子が、あの子なんだよ。
それを思うだけで、自然と笑顔が戻って来る。
周囲の皆への自慢と走ってくるリョーマにもよく見えるように、千石は手を大きく振った。
「……スイマセン。出先に、オヤジに捕まっちゃって」
何も連絡を入れすに十五分も遅刻してしまったので、走って来た呼吸を整えるよりも先に待っていた千石に謝った。
俺にも予定って物があるのに、まったくもう。
遅刻させる原因を作ったオヤジへ悪態を、口の中でぐちぐちと吐く。
「よかったー。来てくれて」
遅刻の事なんてどうでもいいような感じで、千石は嬉しげに笑った。
「だって、先週約束したじゃないっスか?」
しつこいと思う程千石に念押しされていたし、俺もちゃんと行くって約束したのに。そんな当り前のことを喜ぶのが不思議だったし、自分の人間性が信用され
ていない感じがして、リョーマは少し気分を害した。
「そうだよね。越前くんは、約束した事はきちんと守ってくれるもんね・・・…」
リョーマの顔を確めるように見てから、まるで眩しいものでも見たかのように、千石はすぐに下の方に目を伏せた。
「え?」
どこがどうとは上手く言えないのだがなにかが違う千石の態度に、リョーマは途惑う。初めに同級生の女子に絡んでいた時の軽そうな印象と、いまの千石とで
は180度位受ける印象が違っていた。
(この人、女と男では態度が違うのかな。……ああ、なんかそれっぽいかも)
千石のやたらに明るい笑顔を見て、リョーマはそんな風に納得をした。
「来てくれて、マジでありがと! ピーカンに晴れてて天気もいいし、今日は絶好のデート日和だね」
うんうんと千石は満足そうに頷きながら、リョーマの背中を押して駅の方に歩くように促す。
「デート云々は抜きとして、どこに行くんスか?」
「ジャーン! これ、な〜んだ?」
リョーマの視界一面になにかのチケットが現れる。近すぎる千石の手を押さえて、全体図が見えるように顔から離す。
「遊園地のチケット?」
「そ! 初デートと来れば、遊園地でしょ! さっ、混んで来る前に、早く行こっか」
「……まあ、そうですね」
色々と言いたいことはあったけど、遊園地に行くのは楽しみだ。どうせ行くなら、混んでいない方がいいし。
いままでの遅れを取り戻そうとするように、リョーマは小走りで切符売り場の方へと駆け出す。千石は笑顔を浮かべたまま、その後を追った。
この日がやって来るまでに、千石はダムの決壊が崩壊したように泣き続けた。
いつ訪れるともしれないリョーマくんとの別れ。それを思い出すのが恐くて、眠れない。布団の中で小さく丸まって、何も考えないようにする。嵐が過ぎるの
を待つように、身体を震わせながら、ぎゅっ
と目を閉じていた。
だって、そうだろ。恋が始まる前に哀しい結末を先に知ってしまうなんて、ネタバレにも程があるよ。知らない誰かじゃなくて、自分が当事者なだけに、とて
も
残酷なネタバレ。物語と違って、先に知った所為でつまんなくなっちゃったなんて言って、終われやしないんだから。
どうすればいい?こんなの誰も教えてくれない。
神様は、意地悪だ。どうして、いつも同じ運命を俺達の前に用意するの。世間はすっかり純愛ラブストーリー慢性で、悲劇のエンドレスラブストーリーなん
て、
今時流行んないのにさ。俺達だけ逆光したまま変わらないなんて、普通なしだろ。いい加減、脚本変えろよ!
悲劇でも悲恋でもいいから、リョーマくんだけは助かる方に変えてください。お願いだから……。
リョーマくんに会わずに一生を終えるなんて、それだけは絶対に考えられないし、出来ればずっと側で見守っていたい。
唯一、リョーマくんを守れるかもしれない俺が、こんなに情けないようじゃ駄目だよ。現世に生きている俺がしっかりしなくっちゃ!
そして、決めたんだ。最後の最後までリョーマくんと一緒にいて、悲劇的な運命に逆らうことを。
──俺が、キミを今生こそ守るから。
***
「ひゃー、結構人いるもんだね」
「ま、週末だから、こんなもんじゃないっスか」
入場ゲートに入る為に並んだ時点で人の多さには気づいていたが、道が開けた大通りで人の群れを眺めるとより圧倒的だった。天気がいい行楽日和なので、そ
の位当然とも言えた。入場してすぐお土産屋にぞろぞろと入っていく人達を避けながら、入場する時に渡された園内マップを広げ
ながら二人は歩いていた。
「先ずは──」
「絶叫系で、決まりでしょ? ──行くよっ!」
お見通しだという風に目を細めてニィッと笑った千石が、自然にリョーマの手を引っ張って先頭を切って走り出した。
「わっ」
突然のことに驚きながらも、いつの間にかしっかりと手を繋がれていたので、連れられるままなのを止めて自ら走り出す。動体視力の良い千石が人込みを縫
うようにしてジグザグに綺
麗に横を駆け抜けるのが気持ちよくて、そのまま一緒に並走した。
「おおっ! まだ三十分待ちだって。これなら、早い方だよね」
「そうっスね。千石さんって、結構走るの速いんすね」
ジェットコースターの列の最後尾に、二人は早速並ぶ。
「んー、まあね。……もしかして、意外な一面を見せたオレに惚れちゃったとか?」
上からリョーマの顔を覗き込んで、千石がからかうようにクッと口角を吊りあげる。
「それは、ないっす。普通、自分でそんなこと言わないもんですよ?」
恥ずかしがりもせずに抜け抜けとそんな事を言い出す千石にすっかり呆れ口調で、リョーマが言った。
「いいじゃん。越前くんに、なんでもいいから惚れてほしいんだもん」
あっけらかんとした表情で、千石が笑う。
その千石の笑顔を見て、ふいにどこかがズキッとしたような気がした。
一瞬だけ入った衛星の電波のように、何かが浮かんで来そうだった。
(……? 身体のどっか奥の方で……、なにか……)
「あ、列進んだみたいだよ!」
そう言われて、リョーマも急いで足を前へと進ませる。
その時には、さっき一瞬だけ掴みかけた感覚は、すっかりどこかに消えていた。
「越前くんの三半規管って、一体どうなってるわけ? オレ、もうヘロヘロなんだけど」
「アンタが体力ないだけじゃない。俺、全然平気だし」
ちょっと、休憩しようと弱音を吐いた千石がふらふらの身体にやっとこさの力を入れて、なんとかベンチに座る。それでも、リョーマの近くへとさりげなくベ
ン
チの距離をつめていた。リョーマの方はまだまだ元気らしく、次に乗る獲物を座ったまま品定めをしていた。
あれから、ジェットコースターを3つ梯子して、コーヒーカップ、バイキング……etc。
千石の記憶が途切れて覚えていないものもあるけど、フリーパスのチケットの元を取る位はもう乗った気がする。
「そろそろさ、お腹空かない? どっかで、お昼食べようよ」
「うん。俺も、そんな気分。朝、あんま食べてないんで、腹ぺこなんスよ」
「どのお店がいい? もちろん、誘ったオレのおごりだから」
「マジっスか! ごちになるっス」
おごりと聞いて、リョーマは無邪気そうにキラキラと目を輝かせる。
(リョーマくんって、お菓子で誘拐されそう。アメリカって日本より治安悪そうなのに、よく平気だったよな)
なにを食べようか腕を組んで考え込んでいるリョーマを見ながら、千石はそんな事を考えていた。
「んー、腹減ってるから、すぐ食べられる所がいいっス」
「じゃ、あの辺りがいいんじゃない?」
千石が指差したのは、ファーストフードのお店だ。宇宙船を模した形をしていて、ピザの大きな模型がくっついていた。ベンチから店内の方を覗くと、丁度い
い
空き具合だった。
「さっ、千石さん立って立って。早く、お昼に行きましょう」
「越前くんは、食べ物を前にするとホント元気だよねー」
リョーマくんのことだから別に意味はないんだって解ってるんだけど、以前のように引っ張られた腕が嬉しくて、さっきまでへばっていたのが嘘のような様子
で
千石は身軽に立ち
あがった。
「越前くん、先に席取っておいて。後から、持ってくから」
一緒でいいと渋るリョーマに自分の後ろに並ぶ列が増えて来たことを後ろ指でさすと、納得したリョーマが先に戻って行った。
「オレも早く戻らないとな。リョーマくんが一人でいたら、絶対ナンパされちゃうもん」
リョーマの後ろ姿を目で追っていると、リーンと何か出来上がったらしい音がしたので目の前のカウンターを見ると、隣の人の分だった。注文の品が出て来る
の
が待ちきれないのか、先に身体が貧乏揺すりを始めていた。
「千石さん、こっち!」
案の定、トレイに食べ物を抱えて戻って来てみると、千石の当たって欲しくなかった想像通りにリョーマは何物かに絡まれていた。
それが退散していくように、連れがいることを大声でアピールしたんだろ。まあ、間違いようがない簡単な推理結果だ。
「……オレの連れに、なにかご用かな?」
テーブルにトレイをゆっくりと置いた後、まだ居残っているしつこい男にギロリと睨みを効かせる。根性の入っていないチャラ男だったのか、「チッ、男連れ
だったのかよ。紛らわしいんだよ」とオリジナリティーのない悪態を吐いて、ようやくいなくなった。
「越前くん、大丈夫だった?」
「平気。なんなのあの人? 席なんかまだあっちにも空いてるのに、ここに座りたがってさ」
周りにまだぽつぽつある空席の席を、指でさす。すぐに、トレイの食べ物に目を奪われて、「いただきまーす」とお行儀よく言った後、大きな口でピザにかぶ
り
つく。出来たてで熱々の
ピザだったので顔を顰めて、隣のドリンクにストローを差してズズーッと音を立てながら慌てて流し込んだ。
(そういうのをナンパって、言うんだよ。……リョーマくん)
やっぱり、リョーマくんを一人にすると危ないって言うことが実によくわかった。ははっと空笑いをしながら、千石は指で頬をかいた。
「──最後に、観覧車に乗ろっか。ここの観覧車ね、景色がすごくいいんだ。今日は、天気がいいから、レインボーブリッジとかも多分見えると思うよ」
「それって……、何回も誰かと乗ったってことですか?」
鈍いリョーマとて、男一人で観覧車になんて乗らないことには、流石に気づいた。
「えっ!? もー、やだな。そういう事気にしないで、乗ろっ! いまの時間が、一番いい時間帯だから」
気乗りしなさそうなリョーマに尚も、アピールを続ける。
「ねっ、越前くん、一緒に乗ろうよ〜」
千石の強烈プッシュに負けて、乗ることになった。その前に、散々リョーマの好みに付きあわせていたのもあったし、そこまでお薦めされるなら乗ってみたく
なったのだ。
激しくは動かないけど、たまにはこういうのもいいかもしれない。
ゆらりゆらりと小さく揺れながら機体は地上を離れていき、窓から見える景色が頂上に近づくにつれて増えていく。
越前くん、越前くん!ほら、あっちに海が見えるよ!とさっきまではしゃいで喋っていた千石が押し黙ったままなのに気づいて、貼りつくようにして見てい
た窓からそちらに振り返ると、目と目があった。迂闊に声をかけられないような緊迫感がリョーマにも伝わってきた。
それでも明るさを装って、「どうかした? もうすぐ頂上に着くよ」って、考えこんでいるようにも見える千石に声をかけた。
「……あのさ、越前くん。俺と付きあってくれないかな。どこかに行くんじゃなくて、恋人としてって事なんだけど」
リョーマの逃げ道を塞ぐように、恋人としてとはっきり告げる。
「でも、俺、そういう気はないし」
「仮の恋人でもいいから、試しに俺と少しでも付きあってみてから決めて。お願い!」
千石の必死さと、どこにも逃げ場がない状況の二つがリョーマを追い詰める。
「キミが、好きなんだ」
凪いだ波のように穏やかで優しそうな目を向けられて、好きだと言われた。
その告白には、軽さなんてちっとも感じられなくて。千石の全身が真剣さを物語っていた。
(どうして、そんな眼でアンタは俺を見るの? なんで、会ったばかりの俺を?)
胸には疑問が渦巻いていたが、その目に惹き込まれるように、リョーマは自然と頷いていた。
「ま、そこまで言うなら、試しにつきあってもいいけど。いま、つきあってる人いないし」
軽く思われるのも嫌なので、しっかりとその点の釘を差しておく。
「い、……やったー!」
「うわっ!?」
歓声をあげて勢いよく立ちあがった千石の所為で、その大きな声に驚いて思わず席から立ってしまったリョーマの身体が狭い観覧車の中で不安定にふらつく。
こんな所で、顔から落ちるなんてマジで勘弁して欲しいんだけど。
堅そうな観覧車の床部分がリョーマの視界に入って来る。襲ってくる次の衝撃に備えて、堅く眼を閉じた。
……数秒後。予想していた堅い感触やぶつかった痛みはなくて、むしろ柔らかい接触。
(ちょっ、待って! ……柔らかいって!?)
何がどうなっているのかよく解らなくて恐る恐る眼を開けると、千石の顔が目を開けたリョーマの前にドアップで現れた。 リョーマの身体をしっかりと
ガードす
るように支えてくれた千石の身体の上から、倒れ込んだ時よりも勢いよく離れる。
「俺、こんなのカウントに入れないからっ!」
顔を真っ赤にして、リョーマは叫ぶ。すぐさま反対側の椅子に、急いで座り直す。千石の顔が見ていられなくて、下を向く。
(こんな事故みたいなもので、まさかファーストキスを失うなんて……)
いつものポーカーフェイスも崩れて、動揺のあまりに手がわなわなと震える。そんなに夢見ていたって言うわけじゃないけど、これはあんまりだ。座っている
椅子の端を左の拳でやるせない憤懣と恥ずかしさをぶつけるように、何度もガンガンと叩く。
「──じゃ、やり直しする?」
え?っと上を向いた時には、すっと自然に顔を近づけた千石にキスされていて。
唇の上に温かくて柔らかな感触があった。さっきよりも、はっきりと……。
「告白が成功してキスも出来たし、オレって超ラッキー!」
リョーマの動揺など意に介せずに、千石は二パッと笑ってVサインを決める。
「ア・アンタ、勝手になにするの! いつ俺がそんな事していいって、言ったわけ?」
毛を逆立てた猫のようになったリョーマは、眦をキッと吊りあげる。
「だって、事故みたいなキスよりは、二人の記念になるキスがしたかったんだもん。ねえ、もう一回してもいい?」
頼んでOKが出ればいいと理解した千石は、へらりとした顔でもう一度とリョーマにキスをお強請りする。
「絶対、ダメ! てか、俺の半径1m以内に近寄んないで!」
まだファーストキスを事故で失ったショックと、二度目のキスの恥ずかしさが消えていないリョーマは、その混乱した思考のままに口走る。
「無理だって。ここ、半径1mもないよ?」
リョーマとの距離を、自分の手を大きく広げて目測で測ってみる。「んー、
40cmくらいかな」と言って、ニッと千石が笑う。
「ああ、もう! だから、降りたらだよ!」
「えー、折角一緒に来たのに、そんなの寂しいよ」
捨てられた犬のような寂しそうな表情を見て、うっと押し黙りそうになったが一息で言い募る。
「アンタが突然変なことするからだろ!」
……でも、待てよ。今になってよく考えれば、そんなに怒鳴りつけることでもなかったような気がする。やり方はどうあれ、俺の為を思ってしてくれたみたい
だ
し。
冷たく拒絶してしまったもののどうそれを撤回していいものか、リョーマは今度は怒りの為ではなくて気まずげに眉を寄せる。
「もうリョーマくんの嫌がることしないから、そんな事言わないで。ねっ、お願い! ここは、夜のパレードも綺麗なんだよ」
顔の前で両手を合わせて、縋るような上目使いで千石がリョーマを見つめる。
「なら、別にいいけど。そんなに遅くまでは、いられないけどね」
リョーマは少しほっとしながら、千石の懇願があったからようやく機嫌を直した振りをする。
「よかったぁ。パレードは7時からだし、大丈夫。帰りもちゃんと、俺がリョーマくんの家まで送っていくから」
「別に、そこまでしなくていいよ。男なんだし」
「いいの! オレがキミのことを、送りたいんだ。家に帰るまでが、デートって言うでしょ?」
「それ、遠足じゃない?」
「そうだっけ? オレは、行きも帰りも楽しみが続いて嬉しいから、それで合ってると思うけどな」
髪の毛の色と同じオレンジの夕陽をバックに穏やかに微笑む千石に、思わず視線を奪われる。
キスをされた時よりも、激しく鼓動が高鳴る。抑えようと思っても、止まらない。
(……なんなの、コイツ。やっぱ、わけわかんない)
観覧車の頂上から見える景色は、千石がお薦めするだけあって夕暮れと夜の境目がまるでグラデーションのようになっていてとても綺麗だったのだが、先程見
た
千石の笑顔以上
にリョーマの視線を奪うことはなかった。
遊園地で初デートで、観覧車でファーストキスの初めてづくしです。
06/02/09 up