トライアングルライフ 2


 構ってオーラをさっきからずっと送っているのに、反応が皆無だ。 仕方がないので何回も見たことがある映画を棚から引っ張り出してもう一度見ることにしたが、 途中で見ることに飽きて停止する。
 部屋にいるリョーマに、視線を移す。自分を観察するように見られていると感じたら、その途端背中の毛を逆立てた猫のように不機嫌になってしまうので、あくまでもさりげなく。
 千石の部屋だというのに、慣れてきたこの頃は自分の部屋のようにくつろぐようになった。 その変化が、それだけで嬉しい。こんな些細なことが嬉しいって思うだなんて、随分と自分は健気で善良な人 間になったなぁと、他人事のように思ってしまう。
 今日発売で買ってきたばかりのテニス雑誌を、ソファーに寝っ転がって夢中になって読んでいる。 制服の上も適当に脱いで、上に着ているのは白いシャツだけ。 胸元も緩めていて、ボタンが二つも開いている。
 隙間から見える肌の色の白さに、目を奪われる。唇を押しあてて、痕がつくほどその肌に吸い付きたい。衝動的な欲望に襲われる。溜まった熱を冷ますように首を振る。なにかに押し止められて、そこまではまだ進めない。 進まない。……いまは、まだ。代わりのように、乾いていた唇を舐めた。
 TVから流れていた音が止んだことにようやく気づき、ふいに千石がいる方を振り返ったリョーマとやっと眼があう。
「──ねえ、リョーマくんってさ、オレとなんでつきあってくれてんの?」
 開いていた雑誌を閉じて、長い瞬きをする。長い睫毛がはっきりと視認できた。瞬きすると音がしそうな睫毛ってこういうことかと、数秒顔を見つめていた。
「俺と別れたいの?」
 さらりと言い出された衝撃的な言葉を脳が理解するよりも前に、反射的に身体が先に否定のジェスチャーを 取る。雷の光と音のように、あとから音の方はやってきた。
「絶対違うよ! それだけはないから! ただ、不思議だな〜って思って」
 これ以上機嫌を害さないよう哀願するような上目遣いで、リョーマを伺う。
 んーと声を出して思い出すように、期待に逸る千石をじーっと見つめる。
「なんとなく、……かな」
 そう言って、左に首を傾ける。
 もっと大きな嬉しい理由があるんじゃないかって思っていたのに。多少の自信だってあった。 その分だけ落胆もあって、千石は思いっきり脱力した。リョーマの寝転んでいるソファーの肘置きに、千石は顎をだるそうに乗せる。
「そんなことじゃないかな〜とも思ってたけど、やっぱそうなの? 残念だなぁ」
「でも、俺、アンタのこと好きだよ。なんか、人と違ってヘンだし」
「……うっ。嬉しくはあるんだけど、嬉しくないような。でも、嬉しかったりして……。微妙すぎ、リョーマくん」
 好きって言われても、素直に喜ぶに喜べない。心底微妙だった。
「カッコヨクて、明るい清純がだーいすきとか、言わない?」
 自分の考えていた理想プランをとてもいいことを考えたとばかりに、おもむろに提案する。
「それなら、ケイゴの方がカッコイイし」
 口紅なんて塗っていないのに淡いピンク色をした唇を開き、バカバカしいとばかりに素っ気なく吐き捨てる。
 あっさりと言われた残酷な言葉に、思わず千石は顔を歪めた。
 リョーマのもう一人の恋人は、氷帝学園の跡部景吾。山吹にいる千石でさえ知っている程の超有名人だ。 家柄もよく、お金持ちで、本人も容姿端麗でスポーツ万能で成績まで優秀。ムカツクほどに完璧な男だ。 その男の忙しさを狙って、手に入れたというか無理矢理に入り込んだ訳だが……。
「他の男の名前なんか言わないで」
 ソファーに寝そべっているリョーマの上に自分の身を重ねて、拘束するように抱きしめる。 爽やかな石鹸の香りがする項に、顔を埋める。自分の匂いを擦りつけるように、顔をすり寄せる。
「アンタが思い出させたんだろ」
 きつく締まった腕の輪の中から、軽い抗議が返ってきた。
「ペナルティーで、キス一回ね」
 へらりと笑って、リョーマに顔を近づけていく。
「そんなルールないし」
 納得がいかないといった顔をしたリョーマが手を突っ張る。
「いま、つくった」
 些細な抵抗などないものとして、リョーマの頬にチュッと音をたててキスをした。
 眼を見開いて、拍子抜けしたような面食らったような顔をするリョーマ。クールぶってても、こういう顔をするとすごく幼くみえる。可愛い反応をもらって、悪戯が成功した悪ガキのようにイシシと笑った。
 からかわれたと思って余計にムッとしたのか、上にいる千石をどかそうと自由なままの足を動かす。これぐらいヘイキヘイキって笑っていたのに、軽かったはずが意外とツボに入ったようで、千石は痛む腹を押さえる。
 案外、サドなところもあるリョーマは、それを見て満足そうだ。どこまで見たかを思い出すようにして、また雑誌を開 きなおしている。
 もっと構って欲しいので、痛いよーとふざけ半分に抱きつきながら同情を得ようとする。 鬱陶しそうにしているが、抵抗はそんなにない。度が過ぎると嫌みたいだが、こういう接触も嫌いではないらしい。 菊丸が抱きついてきたりじゃれつくのをキツイ言葉とは裏腹にある程度許容しているのは、これと同じ理由だ。 現場を目撃した時は腹がたったし、いまでもいい気になっている菊丸の顔を想像するだけでムカツクけど。ま、リョーマくんの恋人なんかじゃないわけだし。お百度参りのように通って、瞬きから呼吸をする回数までわかる程の至近距離にいられる権利を手に入れた千石の方がより勝っている。この優越感に比べれば、それぐらいのイラツキは余裕で許容範囲内だ。
 ほんとに、可愛いな。こんな子が半分とはいえ、自分の恋人だなんて……。たまんないよなぁ。
 絶対に俺だけのモノにする。そう、絶対に──。狙った獲物は逃さない主義だし、ここから逃してなんてあげ ないヨ。
 見ていると総毛立つような薄暗い眼をして、口許だけで微笑った。



***

 後から人が着いて来ているのに何の配慮もせず、黙々と少年は歩き続けている。なんとか少年の注意を惹こうとして声 を張りあげながら、正面にまわる。
「キミは、オレの運命の人だよ。小指と小指が赤い糸で繋がってるんだ。だから、これはもうオレ達つきあうしかない よ!」
 小指をたてて、笑顔でアピールする。
 春だと言うのに冷たい風が二人の間を通り過ぎるまで、絶対零度の視線でクールに眺められた後で、 人差し指で自分の頭をつんつんと突付きながら、
「アンタ、頭の方イっちゃってんの? 正気で言ってるんなら、おかしいと思うよ。違う惑星から、電波でも送られて るわけ?」
 少年は皮肉気に、唇を歪ませる。
「ねえ、つきあおうよ〜」
 つれない態度にも全く懲りずに、再度ダダを捏ねる子供のように請う。
「俺、つきあってる人いるから」
「そうなんだー。でもさー、試しに二股でもかけてみない? この若さで一人に決めるのはすごーっく もったいないと思うよ。いまなら、千石清純オススメキャンペーン中だから、お買い得だし」
「もったいないって仮定したとして、なんでそのもう1人がアンタなの? それこそ、もったいないって思うんだけど」
 頭に耳がついていたらぺったりと項垂れているのがわかるくらいにしゅんとなった男を見て、今度は冷笑ではない笑 顔を見せる。クールな少年がふいに見せた無邪気な一面に、千石はまた惹かれだす。
 マゾなんかじゃないって思うんだけど、少年の子気味いい言葉にはぞくぞくってくるものがあるし、 そんな子をナカセタら楽しいかもっていう性質の悪いサド心も刺激される。12歳の子ならではの幼い面だって可愛い。幼さに似合わないアンバランスな色気もそそられる。 この所、飽きっぽい千石の興味を惹く存在は彼だけだった。 何度も振られてるんだけど、そのやり取り自体が楽しいくらいはまっている。
 連戦連敗で振られっぱなしの千石が自分の耳を疑うくらいにあっさりと言った体で、ひょんな事を言われた。
「ま、いま暇だからいいよ」
「えぇっ!? ウソ! ほんとにいいの?」
 リョーマの顔を見て、恐る恐るお伺いを立てる。
「アンタが自分で言ったことだろ」
 先ほどの押し売り紛いの強引さと別の面を見せる男を、フッと鼻で笑う。
「キヨスミ」
「えっ?」
 呼ばれて、驚いた顔でリョーマの顔を見つめた。
「さっきから、そればっかり。恋人なんだから、名前で呼ぶんじゃないの?」
 興味を無くしたように、くるっと向きを代える。
「いいけど……っていうか、大歓迎だよ! じゃ、オレもリョーマくんって呼ぶね」
 息せき切って言った。自分の名前を覚えていてくれたのも嬉しいし、思いがかなった嬉しさもあって 込み上げるように自然と笑顔になってしまう。足取りも軽い。リョ ーマの周りをスキップするように跳ねまわる。
「勝手にすれば」
 また元通りの冷たい態度に逆戻りしたように見えたが、隣にいることを許容されただけでも大進歩で、大発展だった。


*

 実力行使で雑誌を手元から取り上げて、その代わりに餌付けをする。 冷蔵庫に常備しているファンタを手渡して、さりげなく問答に入る。
「跡部くんとの仲って、家族愛の延長線じゃない? ほんとに好きなの?」
「恋愛的好意って意味の好きの方だけど。それじゃ、いけない?」
 照れているのか、微かに羞恥の色をさっと頬に浮かべる。そんなリョーマの姿を見ているのが面白くない。
 中学テニス界で話題の元の青学ルーキー。カワイイんだけど、凄く生意気な子。 自分がオトシタらどうなるのかなって暇つぶしのゲームのつもりでチョッカイをかけたのに、 本気になってはまったのは千石の方だった。
 噂の生意気なだけじゃないし、カワイイってだけでもない。 少年のようで少女みたいで、ぞくりとする程アダルトな面を見せることも、年齢に見合わない落ち着き を見せることもある。捉え所がないって千石はよく言われるけど、リョーマの方が当てはまると思う。 まるで万華鏡のように、傾きを換えると違った魅力を見せる。 違った一面を見る度に、惹かれて惹かれて欲しくて欲しくてたまらなくなる。
「そろそろ別れ時なんじゃないの? こんなに可愛い恋人を長いこと放りっ放しって、おかしいよ」
オレなら、絶対放っておかないけどなぁ。同情の中に、非難をたっぷりとまぶして言う。
「別に。忙しい時に会えないのは当然じゃん」
 強がっているように見えないくらいはっきりとした答え。 千石よりも前から続く跡部との絆を見せ付けられたような気がして、嫌な感じだ。
「そうかな。こういう忙しい時の合間を縫って会ってこそ、恋人じゃないの?」
 一瞬の迷いや不安さえ許さずに、鋭く問いかける。
「確かに、そういう考えもあるね」
──でも、アンタがいるから寂しくはないよ。
 千石の癖っ毛の前髪を、細い指ですっと梳く。さりげなく取られるスキンシップがくすぐったいようで、 気持ちがいい。こんなことは、誰彼構わずするという訳でもない。 特に、人に慣れないケモノのような彼がするからこそ、余計に胸を弾ませた。
「リョーマくんって……、オレを嬉しがらせるの上手だよね」
 ゆるゆると幸せを実感して、千石ははにかむようにそっと微笑んだ。
「ホントのことだし。暇じゃないから、そういうこと考えないんでしょ」
もっともっと、俺のこと考えて。頭の中を一つに占めちゃうくらいに、たくさん。
 願いを込めて、そっと引き寄せた手の甲にキスを落とした。






清純との始まりはこんな感じで、リョマの前で大きな猫をかぶっているクロスミの様子でした。
07.04.22 up

BACK TOP NEXT