魔物と人間。動物と人間の共生関係のように、共存出来ていた平和な時代がかつてはあった。
 人間よりも寿命が長く、強くて残酷な生き物──魔物。自分達とは違う種族に、次第に人間達は恐怖を覚え始めた。年老いて弱っていく人とは違い、魔物はそ の姿を殆ど変えることなく続々と数を増していく。
 やがて、起こるべくして起こった衝突。ほんの些細なきっかけから、今も尚続く争いは始まった。
 生まれ持った残虐性を露にしていく魔物に、抵抗しようと人々は立ちあがる。
 長くあてのない争いの果てに当初の問題は薄れていき、最後に一つの構図が残った。
 互いが敵同士であり、二度と共にあいま見えることは出来ないのだと──。
 いつから争いが始まったのかなど、もはや誰にもわからない。

 そんな争乱の時代に、望まれるべくして生まれた少年がいた。
 小さな村に生まれた普通の少年がその名を世界中に轟かすだなんて、まだ誰も予想すらしていなかった。


アイラブ 勇者さま 1

  

 睨まれると迫力があると旅の連れからよく言われる鋭い目で、注意深く周囲を見渡す。
 ──岸辺にいる3匹を倒せば、最後かな。
 周辺には、斬り払ったモンスター の死骸から流出する粘液 が広がっている。
 水場で休憩中に、プラミンの集団に出くわしたのだ。単体の戦闘能力は低いが、数が揃うと少々厄介なものがあった。
 プラミンの吐き出す酸を含んだ粘液に塗 れてべたべたの岩場で、ずるり と ブーツが滑る。その滑りさえも利用して近づき、ぶよぶよした身体の中で赤く光る核──人間で言う心臓部分である急所を狙って真横に切り裂いた。
 ブシューッと粘液を勢いよく噴出して、形を留めておく事が出来なくなったプラミン達が次々に崩壊していく。
 動くものがいないかを充分に確めた後、粘液に塗れた剣をぶんと大きく振って付着した物をはらい飛ばして、鞘に仕舞う。ふうと息を吐いて、流れていた汗 を手の甲で拭った。ぬるっとしたものが腕を伝う感触がして、肘を裏返してみると、血が流れていた。
(ああ、プラミンの前に戦った奴の所為かな?身体、なまってんのかも)
 ちょっと負傷した覚えはあったけど、そんな些細な怪我を気にしている場合じゃなかった。やっと倒し終えたかと思 えば、プラミンの群れ。とにかく休む暇がなかった。
 数が多いので二手に別れて魔物を分担していた連れ──ひょんな事から旅の道連れになった千石清純がようやく姿を現した。能天気に手を振ってくることか らして、 無事 だったらしい。こんな雑魚敵にやられるような男じゃないのは解っていたけど、ちょっとした油断が命取りになることもある。特に、調子に乗りやすそうなこの 男の場合、充分に考えられる事態だった。
「リョーマくん、怪我したの? ダメだよ〜、肘も手工で防御しておかなきゃ。美肌だって、失ってからじゃ遅いんだよ」
 目聡くリョーマの怪我を発見し、のんきな口調の割に真剣な顔で清純は注意をする。
「んなもんに、何の価値があんだよ。あんなもん付けてたら、暑いじゃん」
 夜にしか活動しないはずの魔物が日中でさえ出没するようになってから、どんな関連だかリョーマには不明だが世界各地で異常気象が続いていた。夏を迎える 前だというのに、近頃暑い。
 ブーツを履いている足 だって蒸す し、軽いけど鎧をつけているの もあって、とにかく普通にしているだけでも暑いのだ。その上、腕をカバーする手工をつけるだなんて、冬ならともかく本格的な夏を迎えることを考えれば冗談 じゃなかった。
「いつもいつも、オレの言うことは全然聞いてくんないんだから〜、もうっ!」
 ぶちぶちと文句を言いながらも、清純が治療してくれる気配を感じたのでいつものように腕を出した。
「ん。手早くね」
 リョーマの腕に、清純は唇を近づける。魔物の鋭い爪で縦に切り裂かれた傷に沿って舌を這わせていくと、すーっと見る見る内に傷が塞がっていく。清純は人 を癒すことが出来るヒーリング能力を持っている。ただ、回復方法が独特で、いままで見たことがあるものとはまるで違っていたので、初めてされた時にはすご く驚いた。
 『神学校で習ってたんだけど覚え途中で放りだされちゃったから、ほとんどオレの独学なんだけどね』と清純自身が言っていた。その真相は、定かではない。 所々が胡散臭 い男だが少しは役に立つし、お金は要らないと言うので、一緒に旅を続けている。
 ただより高いものはないと言うことを、リョーマが本当に思い知るのはこのずっと先だった……。

「終わったよん」
 そう言って、まるで血の味でも確認し ているかのように清純はぺろりと舌なめずりをする。
「……傷が治るのはいいんだけどさ、それなんとからない?」
 舐められた部分がぞくぞくするというか、こそばゆい。こんな調子では、絶対に人前じゃ治療出来ない。
 戦闘中は、ちゃっちゃっと手早く回復してくれた気がするのに。ま、無償行為だから、そんなに文句は言えないんだけど。回復の能力が俺にはないか ら、無理だし。
「あ? 無理。これじゃないと、治んない。それしか、平常時は出来ないもん」
 キッパリと言い切られてしまうと、リョーマはもう納得するしかなかった。誰にも見られていないことだけが、救いだった。

「あっ、ウサミミハットが落ちてるよ!」
 モンスターの死骸の近くを指差す清純に、リョーマは素っ気なく拾っておいてと指示を出した。
「……リョーマくん、装備しないの?」
「なんで? 売るに決まってんじゃん。これ、高く売れるし」
 防具にもなるけど、見た目が可愛いのでファッション代わりのただの帽子として一般市民によく売れている。小金を稼ぐのには持っていこいのア イテムだ。
「えー。防御力高そうだし、つけてみればいいじゃん。たくさんあるんだし」
 確かに、道具袋の中には沢山ある。というか、売るほどある。
「わかった」
 期待に目をキラキラと輝かせる清純の前で、
「それ、1個、アンタにあげる。防御力も、多分あがるよ。アンタ、頭に何もつけてないし」
 清純の格好は、マントに簡易的な鎧。腰には、剣と道具袋。標準的な旅人の服装だ。
「んもう! もう1個出てきたら、リョーマくんも装備してよ」
 ヤケになって、清純は帽子をかぶる。ウサミミハットの特徴のぴょこんと長いウサギの耳が東から吹いてきた風になびいた。
 思いの他可愛いし、似合っているような気もする。じっと、その姿を見つめる。
 だけど、18歳を迎えている男がそれをかぶっている姿は、いまいち情けないと思 う。やっぱり、こういうアイテムは売るのが正解だなと、改めて思った。
 清純のテンションに付きあうと疲れるので、「あー、ハイハイ」とようやく我に返ったリョーマは適当に返事する。
「リョーマくん、じゃーん! オレもあっちで倒してて、実は拾ってたんだよね」
 懐からもう1つのウサミミハットを、やけに嬉々とした様子で取り出す。
「そんなに持ってるなんて、おかしくない? コイツラ、そんなもん集めてたっけ?」
 魔物にはキラキラしたものを集めたり、お金や人間の食べ物を集めたりなど、変わった特性を持つ種族も中にはいる。──だが、ウサミミハットを集めている モノが いるなんて、いままで一度も聞いたことはなかった。
「さあ、知らないけど。それはさ、旅人から盗んだとかじゃない?」
ほらっ、約束通りリョーマくんもかぶってよ〜。帽子を持って、清純が迫ってくる。
「そうだね。防具屋に行って、それより防御力が高いのがなかったらね」
「言ってなかったじゃん、さっきまで」
 じとっと、恨みがましい視線を送られる。
 なんで、たかが帽子を装備するかしないかで、そんな目を送られるのかがよく解らない。
 子供にでも言い聞かせるように、厳しくはっきりと解りやすく語りか ける。
「防御力が高い防具をつけて旅をするのが、旅の常識なの! 折角、新しい街に行くんだから、たまには買い物もしなくっちゃ。お金もたまってきたし、アンタ の分 だっ てちゃんと買ってあげるから。またモンスターに出くわさない内に、さっさと行くよ」
 軽く一声かけるだけで、うだうだと文句を言っている清純を置いて、西の方向に見え始めた街へと黙々と歩き出した。
 



***

 なんとか日中に、アースレイクの街に到着した。関所の受け付け時間を過ぎると、街に入る唯一の入口である門が閉められてしまう。事前に連絡をして いれ ば別 だけど、急を要することにしか特例は認められていない。夜間に襲って来る魔物を警戒して、街の住民を守る為に夜は門を閉ざしているのだ。
 この頃、野宿が続いていたので、そろそろ宿屋の柔らかいベッドが恋しかった。久々の休息が得られると思って、リョーマは顔をほころばせた。
 関所を抜けると、食欲をそそる匂いがどこからともなく潮の香りと一緒に漂ってくる。海が近くにあり漁場が豊かなのか、この街は栄えているみたいだ。どこ の店からも、活気が 感じら れた。
 旅慣れて来たいまでも、小さな村育ちだったリョーマには物珍しい物がまだたくさんあった。
 注意を引くように、肩がぽんと叩かれた。振り返ると清純で、
「ちょっと、情報探しに行ってきまーす♪」
 返事をするより前に、人込みに紛れて清純はふらっと消えていく。ほんの数秒前まで隣にいたというのに、もう姿が欠片すら見えない。
(また女のトコにでも、行くのかな。いつもいつも、どっかに消えていくんだから。──まあ、前みたいに俺に迷惑かけなきゃいいけどさ)
 目先の食べ物の誘惑を振り切って、日がある内に宿泊費も安くて食事も美味しそうな宿屋を探すことにした。

 首尾よく宿が取れたので、下にある食堂でリョーマは腹ごしらえをすることにした。
 店の評判や味が期待できそうないいあんばいに、店の中は混んでいた。空いているテーブルを見つけて手書き のメニューに目を通していると、のたのたとゆっくりした足取りで注文を取りに太目のウェイトレスがやって来た。
 直感と腹の虫の赴くままに、
「本日のお薦めセットと、キングゲソの丸ごと焼きとクッチャリ草とチキンのサラダ。あと、大ジョッキでパンタ」
「あいよ。兄ちゃん、そんな小さいのによく食べるんだねぇ」
「まあね」
 小さい身体に見合わずよく食べるリョーマはいつも言われることなので、さらっと交わす。
 十分も待たずにすぐに出て来た食事を無言でバクバクと平らげていると、向かいの席に人が座った気配を感じた。キングゲソを大胆に手で千切って口に放り込 んでから、誰なのか を一応確認すると清純だった。
「なんだ、ご飯食べてたんだ。オレにも、声をかけてくれればいいのに。リョーマくんってば、イケズなんだから〜」
 拗ねて言いながら、清純もメニューのチェックに入る。
「だって、アンタいなくなってたじゃん」
「帰って来たんだよ。そうそ、バッチリ情報も仕入れてきたよん。ねっ、聞きたい?」
「なに? もったいぶんのウザイから、早く言って」
 パンタをぐびっと、喉の奥に流し込んだ。おいしい。冷たくて、最高だ。これだけは、旅の最中には飲めない。街に訪れた時のリョーマの楽しみの1つだっ た。
「解ってないなぁ。こういうのも、醍醐味の1つなんだよ」
「別に、そんなの知らなくてもいいし」
「やれやれ、オレの苦労がちっともわかってないよなぁ」
 わざとらしいため息をつく清純をちらりと見て、慇懃無礼に一言。
「ああ、ゴクロウサマ」
 先程のウェイトレスを、こちらは心のこもった声で呼び出して、空になってしまったパンタのお代わりを頼む。
「全然、気持ちがこもってないし。まあ、いいデスよ。いつもそうだしね」
 気を引くのを諦めて、自分の分も料理を注文する。
 リョーマの方にぐっと顔を乗り出して、
「ここからずっと北の方にあるカリオンの塔って所に、街の娘達が捕まっているみたいなんだ。お偉いさんの娘も中にいるからか、懸賞金も出てたよ」
「ふぅん。いくらくらい?」
「2500000ギャラ」
「結構、張りこんでんじゃん。まあ、懸賞金が低かろうとなかろうと、行かなきゃいけないんだけどさ」
 ふっと、息を吐くリョーマ。
「こんなおチビちゃんまで、行くのかよ。無理無理、止めといた方がいいって。魔物に殺されんのが落ちだって」
 2人の会話を側で聞いていた男が遠慮なしな馬鹿笑いをする。大きな声だったからか、店にいる男達の間にも事情が伝わっていく。
「そりゃ、ちっと無謀ってもんだぜ」
「そうだそうだ。そんな細っこい腕で、なにが出来るんだよ」
 リョーマの小柄で非力そうな容姿を肴にして、さんざめく。
(あー、またか。もう鬱陶しいな)
 酒場も兼ねる食堂では、そういう輩が多い。もう慣れてきたから初めの頃のように突っかかりはしないけど、気分はよくない。相手にするほどでもないので、 黙殺する。
 清純がテーブルにダンと拳を打ち付けてふらりと立ち上がるのを見て、リョーマは嫌な予感がした。
「なってないなぁ。リョーマくんはね、すごい子なんだよ」
「別に、いいよ。気にしてないし」
 宥める為に、早口で清純に言い添える。
「おいおい。チャラ男とお坊ちゃんで、どんな旅の最中なんだ?」
 ちょっとそのことが気になったのか、ひくっとこめかみを引き攣らせる清純。
 自分のことはともかく、清純にはぴったりだなとリョーマは思った。
「このお方を、どなたと心得る! この子は、国王によって正式に任命された勇者さまなんだよ」
 印籠でも示すように、清純は皆に見えるよう高々とアストライア国王直々の署名付きの証明書を掲げる。
 無くさないように大事に仕舞っておいたはずなのになんでと思って慌てて懐をまさぐると、それは本当にリョーマのものだった。
(まったく、いつの間に取ったんだか。見せんなよな。余計に、鬱陶しくなるのに)
 静まり返った店が途端に、歓声でざわめき出す。リョーマの周りに、男達がわらわらと近寄って来る。
「うぉぉー! 勇者さまだったのか。それを早く言ってくれればいいのに。水臭いぜ」
 リョーマの背中を、どんと叩いてどやしつけられる。
 あははっと、リョーマは似合わない愛想笑顔を浮かべる。
「娘達を救ってやってくれ。俺の従兄弟のマリアンも捕まってるんだ。頼む」
「勇者さまが泊まった宿だなんて、いい店の宣伝になるねぇ。サインを頼んでもいいかい?」
 双方から、凄い勢いで腕がつかまれる。
 プチンと髪の毛が抜ける音がして、そっちを見ればリョーマから抜いた髪の毛を持って男が祈りを捧げている。
(なんかの呪いにでも、使う気?そんな特殊効力持ってないってば)
 リョーマはもみくちゃにされながら、はぁっとため息を吐く。
 ──だから、ヤだったのに。自分から勇者だと宣伝するなんて詐欺みたいだし、恥ずかしいのに。
 巻き起こった騒ぎに我関せずな涼しい顔で、奢られたビールを美味しそうに飲んでいる清純を睨みつけた。


 騒ぎを治めるのが大変で、思わぬ気疲れで多大な精神的疲労におそわれた。
 部屋に帰って来るなり、煩わしそうに身につけた防具や荷物を地面に乱暴に振り落として、 リョーマはベッドにどさっと倒れこんだ。
「あれ? 足も、怪我してたんだ」
 ブーツを脱いだ所から、血が固まってかさぶたになりかけた傷が見つかった。
「こんなもん、かすり傷だよ。薬塗っとけば、治るよ」
「ダメダメ、そういう傷が大事を生むんだから。足、出して」
 リョーマが返事を渋っていると、ズボンの裾が手早くまくりあげられる。口をつけられた傷口が、ちりちりとした熱い熱におそわれる。
 思わず、半身を起こし、息をつめて清純のする行為を見守ってしまう。
 外ならいいけど、宿屋みたいな場所でそういう行為をされると、なんだか落ち着かない。
 すっかりピンクの綺麗な肌を見せるようになった白い足に、清純はチュッとくちづけて離れる。
「治ったよ。リョーマくん、お礼は?」
「ありがと」
「言葉じゃなくて、身体で表そうよ」
 んーっと、リョーマの目の前に唇を突き出してくる。
 極度の女好きの清純だから、悪ふざけと本気の区別がつかない。
「好意を強要させんな。なら、今後一切アンタに傷の治療は頼まないけど。それで、いいわけ?」
「それは、駄目だよ。リョーマくんを治療するのは、オレの楽しみなのにー」
「悪趣味」
(その為には、俺が怪我をしないといけないじゃん。なんなんだよ、その娯楽)
 襟元をぐっとつかんで、清純の望み通りにキスをする。と言っても、一瞬唇に触れるくらいで、すぐに離れる。
「んじゃ、そういうことで」
 ベッドにばたりと倒れて、パチリと目を閉じる。
 すぐに、部屋に寝息が聞こえ出す。
「寝つき良すぎでしょ。もっと大人の関係に進展するとか、なにかねぇ」
 リョーマの子供のような寝顔を見て、微苦笑を顔に浮かべる。
 穏やかに睡眠を貪るリョーマの顔を数分くらい黙って見つめたあと、清純は闇の中に姿をかき消した。






初ファンタジーで、どこか不思議で怪しい同行者清純と勇者さまなりょまの二人旅です。
同行者は増えるようで、増えないかもしれないというなにもかもが未定な行き当たりバッタリ道中記。

06.08.08 up

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