88.寒い


 手に持ったビニール袋をがさがささせながら、リョーマが差し出してきたのは小粒のみかんだった。 オレンジ色が部屋の中で、鮮やかにうつる。
 呆気にとられてしまう。お菓子とかならともかく──果物のみかん。こんなことは、千石のマニュアル外の出来事だった。
「なに、ソレ……」
「みかん」
 見れば丸わかりなのにおかしなことを言うヤツだなとばかりに、不審な視線を真正面から浴びる。
「それは……、見ればわかるんだけどさ」
 ねえ、ほら。肩をリョーマに向けて肩をくっと捻るようにして、千石はニュアンスで違和感を訴える。構われることなく、無視される。
「この部屋さー、コタツないの不便だよね」
 千石の部屋には、コタツはない。まず、オシャレじゃないし、一人で暮らす部屋にあっても邪魔になるものでしかないと千石は思っている。
 暖房が必要なら、エアコンの他にも床暖房だってあるんだから、あえてコタツに拘らなくてもいいし。
 リョーマは好きそうなので、表だって激しく批判はしないが、今後も購入予定はない──つもりである。
 どうしても……と、彼からオネダリされたのなら、そんな方針はどこへやらで、きっと買ってしまうだろうけど。
 甘い自分に愛しさとともにほろ苦さを感じて、表情を出さないように歪みかけた頬を掌で撫でた。
「必要ないと思うけどなー」
 さりげなく反論しながら、部屋に入って来たばかりのリョーマの為にエアコンの設定温度を少し上げる。
「ふぅん。あったかいし、便利なのに」
「リョーマくんの家と違って、オレの部屋洋風だし、合わないって」
 そんなことを言っている千石を放って、なんかんだ文句をつけつつも快適な温度の部屋にいるだけで、気持ちが緩む。 毛足の長いファーが生えたふかふかのラグに、寝っ転がる。
 足を適当にばたつけせながら、ラグの上で直にみかんをむき始める。 柔らかい皮がぼろぼろ、みかんの細くて白い筋が途端にあちこちに散らばる。濃い色のラグなので、かなり目立っていた。
「リョーマくん、気づいてます? キミがむくと、そこにゴミが超落ちるんだけど」
 んー?と生返事だけして、すぐに元の作業に戻る。
「後で、掃除すればいいでしょ。しょうがないじゃん。むいてるんだし」
 しょうがないなと思って、すぐに目についたコピー用紙を下に敷く。被害はこれで、少しは抑えられるはずだ。
「アンタ、まめだね。──おばさんみたい」
 手ではみかんをむき続けながら、視線を一瞬だけちらっと流す。
「おば──って……。ちょっと。ないよ、それ!」
 ぴくっと、千石は青筋を立てる。
 イカレタたヤツ、最低、とヒドイ男呼ばわりされたことは星の数程に覚えがあるが、それも人としてどうかとは思うが……。
 おばさんは、いただけない。千石のろくでもない人生の初にして、最低最悪の罵り文句だと思った。 それも邪気がなく言うから、性質が尚よろしくない。
 これ以上の深追いはやめて、リョーマと視線が合うように、転がして置いたクッションに乗って身を乗り出す。
「ねえ、オレへの差し入れじゃなかったの?」
「味見しないと、いけないなって思って」
 もぐもぐと口を動かしながら、リョーマはこもった声でもごもごと答える。
「それで、4個も食べるかな?」
 千石は嘆息というよりも、この状況が楽しくなってきて、自然と口角の縁が上がる。
「そうそう。もうちょっとでわかる。うん。甘い」
 もっともらしく言って、頷く。
「え!? もう最後じゃん。食べるの早っ!」
 食べるスピードの速さは知ってはいたが、驚異的だった。まだ部屋に来て、十分も経ってないというのに。
「キヨスミも食べる?」
「そこまで言うなら、食べてもイイヨ」
 ニッコリと笑って、ほらほらと口を大きく開けて誘ってみせる。
「そこまでは、別に言ってない」
 千石に冷たい一瞥をくれて、残りの全部を口の中にぱくりと放り込もうとするので、なんとなく止めてしまう。 積極的に食べたいって気持ちではないのに、急になんだか惜しくなった。
「やっぱ、待って。ちょーだい」
 手を合わせて、下手に出てオネダリする。
「ふっ。ったく、最初から言えよな。ほらっ、綺麗にむいてあげたんだよ」
 素直さに絆されたのか、節一つ残っていない綺麗な一房を手でつまんで、にこにこと得意気な笑顔で千石に迫ってくる。
 こういう計算なんて、なんにもしていないところがマジでカワイイ。頭を抱え込んで、撫でて愛でたくなる。
 ──しかし、手元に残っているのは、たったの一個。それも、みかん一個というのではなくて、ただの一房だ。
 残りをいただくと、確かに甘かった。
「うん、甘いね」
「でしょ?」
 たったそれだけなのに、すごくほこらしげだ。無邪気さが可愛らしい。
「ねえ──、キヨスミ。おなかすいたんだけど、お客の俺になんにもないの?」
「え、あんなにみかん食べて、まだ食べるわけ?」
「みかんは、みかんだよ」
「そうですか。そうですか」
 食べざかりのお子様に抵抗するのを諦めてふらっと立ちあがって、
「あー、食べ物とかあんまないんだよね。外に食べに行く?」
 冷蔵庫の中にビールは冷えているが、まともな食べ物はほとんど入っていない。つまみ系の食べ物が、少し残っている位だ。
 後は、あると言っても栄養補助食品で、栄養素だけではなく食べ物に味も求めるリョーマが好んで食べるとはとても思えないものばかりだ。
「ヤダ。寒いから動きたくない。なにかないの?」
 わがままだなとは思いながらも、そういう気を使わない所がリョーマなので、他の手段を伝える。
「ならさ、出前でもとる? ピザとか」
 勝手にポストに投函されていたチラシがあったはずと、心辺りの場所を探りながら声をかける。
「んー……。そういう気分じゃない」
「じゃあ、なにが食べたいの?」
「みかん」
「あれだけ食べたのに、──まだ食べる気?」
「最後の一個をキヨスミが食べちゃったから、食べたくなった」
「オレの所為!? アレ以外は全部、リョーマくんのお腹の中にいると思うんだけどなー」
「アンタの所為だなんて……、別に、言ってないじゃん」
 責められてバツが悪そうな顔をしながらも、納得していないのかムッとした顔をする。
「いや、言いました。ほんのついさっき、リョーマくんが言ってました」
「ウルサイな。男が細かいこと、いちいち気にすんなよ!」
 リョーマくんが細かいことを気にしなさすぎなんですと言いたいのを、留める。
「わかった。わかりましたよ。行ってきますよ」
 充電中の携帯を取りあげて、その辺に置いておいた財布を後ろポケットに入れて、手早く外出の準備をする。
「リョーマくんは、一緒に行かないの?」
 近くのスーパーはどこにあったかを脳内で思い浮かべながら、ジャケットのファスナーを閉める。
「…………え? 俺? なんで、俺まで行くの? 外、寒いじゃん」
「そのさむーいお外に、千石くんは旅立つんだけどなぁ」
 ちらりと、上目で窺う。
「あのね、寒いからって、家の中にばかりいるのって、よくないんだって。少しは、外の光に当たった方がいいよ」
 聞き分けの悪い子にでも言い聞かせるように、リョーマが淡々と語る。
「あー、でも、アンタの場合は両極端か。家にいれば、ケンカに巻き込まれないしね。冬は不良とかは家にいるし、ま、ダイジョウブだよ」
 不良の冬の生態を、なぜリョーマが知っているのだろうか。合っていなさそうで、合っているような……。
「…………リョーマくんは?」
 言葉にしない千石の残りの問いかけに、リョーマはクッションの上に座り直しながらもっともらしく語り出す。
「さっき、ここに来たし。すごく寒いのに、キヨスミの為に甘いみかん持って、わざわざ遊びに来てやったじゃん」
「さようでございますか……」
 恋人の為に尽くすなんて健気な人間になったなと自分を鼓舞しながら、玄関口へと向かう。
「──キヨスミ」
「なに?」
 一緒に来てくれるのか、それともなにかと甘いことを期待して振りかえったら、それは裏切られる。
「PONTAも、ついでに買ってきて。グレープ味がいい」
 行ってらっしゃーいと適当にひらひらっと振られる手に振りかえして、苦笑しながらドアを閉めた。


 *

 人がいる証に明りが灯っている自分の部屋を下から見上げて、手に持ったビニール袋をがさつかせながら白い息を吐きだした。
 待っている人がいて、帰る所があるというのは、ささやかに幸せかもしれない。すっかりねじ曲がった千石でも、素直にそう思えた。
 冷たくなって感覚がなくなりかけた手を、ポケットにしまい込んだ。
「ただいま〜」
 家にいるはずなのに気配がないのを不審に思いながら、リビングを覗く。
 ふかふかのクッションを枕にして、幸せそううに寝息を立てて眠っている。
 人に買い物に行かせといて、自分は寝てるって。マイペースなリョーマくんらしいっちゃ、らしいけど。
 普段は本当に子供なんだなと思って、まじまじと寝顔を観察してしまう。 ニキビなんて出来たこともなさそうな赤ちゃんみたいな白い肌。成長途中の小さな手。顔にかかった髪の毛をすきながら、細い首筋に触れる。
「──っ!? なにすんだよっ!」
 声にならない悲鳴をあげて、がばっと勢いよくリョーマが起きあがる。まだぞくぞくしている首筋を、ごしごしと手で勢いよくさすっている。
「ただいま。愛しのダーリンがいま帰ったよ」
 まだじたばたして慌てているリョーマに、改めて爽やかな笑顔を向けた。
「…………。……おかえり」
 これだけ冷たい寒い外に出てきたわけだからと文句や何かも色々と飲み込んだ後で、渡されたみかんを千石に向かって軽く放り投げる。
「今度は、キヨスミがむいて」
「ハイハイ。リョーマくんのわがままだから、仕方ないなー」
「嬉しそうな顔して、何言ってんだか」
 やらされていながら嬉しそうな笑顔な千石に、リョーマがぼそぼそと文句をつける。
「俺に、感謝しろよな」
 千石からなにも反論がないことを不審に思ったリョーマが顔を上げると、開いた口の中にむき終わったみかんが入れられる。
 食べている間は大人しいので、柑橘類の匂いがする健康的な手でリョーマを抱きよせて、じんわりと伝わる体温の温かさを味わう。
 この家に、コタツはいらないという思いを千石は益々強くした。






クロスミ設定ですが、マイペースなりょまにやられまくりです。
冬休み中のほのぼのした一日です。

10.03.25 up

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