47.クリスマス


 曇天。厚くて暗い雲で、空が覆われている。気温がもっと下がれば、雪が降ってきそうだ。
 クリスマスイブに雪が降ればロマンティックだなんて、ありえないと思う。 ただ寒さが増すだけだし、びしょびしょの路面と電車のダイヤの乱れ。損ばかりが浮かぶ。 こんなことを感じるのは、リョーマの考え方が即物的すぎるからなんだろうか。
 あの男だって、その点は肯定するはずだ。──いや、わからない。予想出来ない思考をするから、雪だけは特別とかあるかもしれない。
 そんなことを考えていたからか、汗がひいてきた身体に肌寒さを感じて身体を震わせた。
 待ち合わせをしているので、汗に濡れたユニフォームから手早く制服に着替える。
 先輩達に声をかけられたけど適当に会釈して駆け足で通り過ぎて、重くなったカバンを肩に背負い直して、待ち合わせ場所へと足を急がせた。
 とっくに引退してもいい時期なのに、部の様子が気になるのか三年の先輩達がちょくちょく顔を出す。
 冬休みに入ったというのに、今日も朝から部活漬けだった。 希望者のみ自由練習らしいのに、部員はほぼ出席していた。リョーマも含めてだけど、テニスバカはたくさんいるらしい。
「中で待ってればよかったのに。寒いでしょ?」
 校門を出ると、手持ち無沙汰そうに壁にもたれて千石が待っていた。
 暖房はなくても建物の中に入っているだけでも温かいので、外で待つくらいなら青学の部室に入って待っていればいいのに。 そう思いながら、寒そうに身体を縮めてダウンジャケットのポケットに手を入れている千石に話す。
 わかってないなあと言わんばかりに首を緩く振りながら、曖昧に苦笑いされる。
「なに?」
 間接的に伝えられても、理由を言われない限りリョーマにはわからない。
「いえいえ、なんでもありません」
「ふぅん」
 別にどうでもよかったので、適当に流した。
「外で待ってた健気なオレの為に、お手を拝借」
 右手をリョーマの前に差し出して、一歩足を引いて軽く腰を屈める。仕草が芝居がかっているので、妙に胡散臭い。
 胡乱な目つきで千石を窺ってから、
「ホッカイロあげよっか?」
(朝使ったけど、まだ一個位は持ってた……はず)
 リョーマは心当たりのあるポケットの中を、がさごそと探る。
「リョーマくんの生の温もりが欲しいんデス!」
 あまりの力説振りにすっかり呆れて、瞬間的にどうでもよくなる。
「あっそ」
 肩をすくめて、軽くふっと息を吐きだした。
 ひんやりした手に左手をつかまれて、反射的にびくっとする。
「うわっ、アンタの手つめたっ!」
「オレは、心があったか〜い人間だからね〜」
 得意気に意気揚々と善人説を語るが、自動販売機のあったか〜いと同じ位、言われても無意味だと思った。
「へえ……。それ、初耳。キヨスミみたいなのもいるし、デマだよ、デマ。もう、誰にも言わない方がいいと思う」
 迷信のような当たらない感じだし、千石にその形容詞はかなり合っていない気がしたので否定しておく。
「ヒドイなー、リョーマくんってば」
 非難した舌の根も乾かぬ内に、うふふふと千石は怪しい笑いを零す。
(やっぱ、自分でもそう思ってるんだ……)
 リョーマは、そう納得していた。
「……たくさんもらったんだね」
 千石の視線の先が膨らんだカバンに向けられていることに気づいて、
「ああ、これ。誕生日だからって、先輩達からもらった」
 聞かれるままに、簡単に中に入っているものを説明する。
「桃先輩が自転車で送ってくれる券とかくれたけど、こんなのいつものことだと思わない?」
 いつも金欠なことを知っているので、リョーマはその時はつっこまなかった。 案の定、菊丸先輩には容赦なくつっこまれていたけど。
「えー。オレも送る券をあげようかなって思ってたのにー。オモシロくんってば、やってくれるなあ」
「バレバレなウソつくなよ。アンタがそんなこと考えてるわけないじゃん」
(まず、そんなカワイイことは考えないし。仮に送ってくれたとしても、送り狼になるだけだろ)
 ヤブヘビになるのであえてそこまで言わなかったけど、一緒に帰ることでの障害の方がすぐに浮かんできた。
「なんで、リョーマくんにはバレちゃうかなー」
「アンタは、ウソとシャレになんない冗談が多すぎんだよ」
 全部を本気にしていたら、キリがない。
「でも、ちゃんとプレゼントは考えてたよ」
「え、なに?」
「リョーマくんの側に、俺がいてあげることが最高のプレゼントかなって」
 千石はけろりとした顔で、言い放つ。自信満々な様子が憎らしいんだけど、妙に憎めなかった。
「俺に迷惑かけっぱなしの癖に、よくそんなこと恥ずかしげもなく言えるよね」
 堂々と言ってぬける千石に、リョーマは唖然としていた。
「俺の側にいてもいいのかな……とか弱気なこと言うヤツ嫌いだから、そっちの方がまだマシだけどさ」
 そうでしょ、そうでしょとニコニコ得意気な顔の千石の顔に、指をつきつける。
「アンタって、ずうずうしいよね」
 色々と言おうと思ったことは、結局はこの一言にまとめられた。
「リョーマくんには……負けるよ」
「どういう意味だよ!」
「そんなに意味は含んでないけど、ま、そういうこと」
 リョーマの怒気を誤魔化すように、えへっと曖昧な微笑を浮かべる。
「……それって、ただ単にお金がないからじゃないの? 別に、いいんだけどさ」
 先輩達から充分もらったし、特別に欲しいモノがあるわけでもない。 一応の文句は言ってみたものの、最初から千石に期待はしていなかった。
「実はさ、物とか残る感じ、あんまり好きじゃないんだよね」
 長く生きてるとそういうのあるんだよと言い訳じみたことぶつぶつとを言い出す千石を遮って、
「──それでも、残るものあるよ」
「なに?」
 虚をつかれたように素を見せる千石に、真剣な目を向ける。
「思い出。アンタが嫌って思っても、ずっと残るよ」
「……オレが……死ぬみたいな気がする」
 複雑な口調と目つきで見られるが、その考え方が受けたリョーマは軽やかに笑い飛ばす。
「アンタ、早死にしそうだもんね。ろくなことしてないし」
「リョーマくんって、たま〜に乙女ちっくモード入るよね。やっ、オレは、そー言うの嫌いじゃないけどね」
 千石はさっきのことを挽回したかのように、上からものを見ている様子でクスクスと笑う。
「はあ? いますぐここで、アンタを過去の思い出の一ページにしてもいいんだけど」
 怒りが押し殺せずに、ラケットを背中のカバンから取り出す。ボールを右手で、ぎゅっと歪ませる。
「ちょっ、タンマ! マジで、死んじゃうって」
 焦って謝る千石の姿を見て、ようやく気を取り直す。
「ぜひぜひ、リョーマくんの誕生日をオレに祝わせてクダサイ」
 リョーマのご機嫌を伺うように上目づかいで問われて、勿体ぶりながらも承諾する。
「そこまで言うなら、祝わせてあげるよ」
「いや……、そんなには」
「──まだ、なにか?」
 鋭い視線にびびったのか、空元気を装った千石に肩を親しげに抱かれる。
 単純だなって思ったけど、触れた温かさで気持ちがほぐれた。
「今日はどこもカップルで混んでるだろうし、行くなら早く行こうよ」
 握った千石の手を引っぱって、さっきのことはなかった振りで、ニッと笑いかける。
「オッケー! 今日はどこまでも、お供いたします」
 リョーマにつられるように、千石も明るい笑顔を見せた。



 ***

「良い子のところにしか、サンタクロースは来ない……か」
 上手いことこじつけたよな。信じてなんかいないだろうし、分類すれば確実に悪い子だ。
 子っていうと千石が幼い子供みたいで、不思議と笑える。不意に起こった軽い笑いの発作に、ベッドの上で身体をよじらせる。
(誕生日が楽しくないってことは、クリスマスもしかりで……)
 軽い溜息を吐く。携帯の液晶で、時刻をチェックする。まだ今日だった。
(俺って、心配症だったのかな。──違う、アイツだけだ。アイツが心配させるのが悪い)
 ベッドから、身軽に起きあがる。
 キッチンで洗い物をしている母親にさりげなく言い訳して、玄関から靴をそっと回収する。 見つかるとウルサイオヤジにも見とがめられないように注意しながら、部屋に戻る。
 ドアを閉めてようやく安心して、身体の力を抜いた。
 夜になってまた一段と気温が下がったので服を着こみながら、寝ていた風を装ってベッドを乱しておく。 さっきまで寝ころんでいたので既に乱れていたけど、ただ単にリョーマの気分の問題だ。
 部屋の照明を全部消して、窓を開ける。持ってきた靴をはきながら、
「仕方ない」
 誰に言うともなしに、言い訳のようにつぶやく。
(会いたいのは……、俺の方か)
 突然の衝動に、もっともらしい理由を他にもいくつも見つける。
(……あと監視も兼ねて。見張ってないと、すぐ悪さするんだから)
 用意しておいたラッピング済の箱を取り出して、大きな音を立てないように屋根を伝って下に降りる。
 窓も閉めておいたし、朝から出かけるって言っておいたから、たぶん大丈夫だと思う。バレたらバレた時だ。
 白い息を吐き出しながら、星の見えない黒い空を見あげた。



 目の前のドアが開くと同時に、ピザ屋の配達員よりもにこやかに微笑んで挨拶する。 時間的にはっきり言うともう少し足りないのだけれど、いいことにしておく。
「──メリークリスマス」
「…………リョーマくん?」
 状況が飲み込めないままでいる千石の腕の中に荷物を押しつけて、勝手知ったる様子で部屋にあがりこむ。
 着ていたコートを脱いで、ソファーの背に適当にかける。
「今日は……、パジャマじゃないんだ」
 千石がいつかの日のことを言って揶揄しているとわかって、リョーマは顔を赤くする。
「この時期にそんな恰好してたら、家出中みたいだろ」
「──ウチに、来なよ。リョーマくんなら、大歓迎」
 裏を疑ってしまいうような陽気な声だった。 意図を探るように千石の目を見たあと、さらりとした調子でリョーマは言った。
「いいよ」
 言った瞬間に、千石の目が泳いだのをリョーマは見逃さなかった。
「あのさー、冗談でそういうこと言うなよ。本気にするだろ」
 紛らわしい。本当のことを言った時に信じてもらえなかったら、どうするんだか。また一つ余計な心配ごとを、リョーマは抱え込む。
「いや、本気だったんだけどね」
「もういいよ」
 何か言い足りなさそうな千石に、リョーマはくるっと背中を向ける。
 相手にするのをやめて、主のいない寝室のベッドにごそごそと潜りこむ。身体を横たえて、目をつぶる。 夜更かしな千石のことだからまだ寝てもいないだろうと思っていたら、予想通りだ。まだ冷たいままだ。 夜遊びに出てないだけ、まだマシなのかもしれない。
「ったく、夜更かしなんだから」
「いや、だって、まだ十一時だよ? そりゃ、リョーマくんにとっては遅いかもしれないけど」
 リョーマが部屋に入るのを、そのまま追いかけてきたらしい。千石に呟きを聞き咎められたのか言い返されたが、眠くなってきたのでシカトすることにした。
「ねえねえ、そう言えばさ、これなに?」
「ツリー」
 さっき渡した箱のことだろうと考えて、率直に答える。
「いらないよ」
「やるよ。寂しいでしょ、アンタの部屋」
 シンプルといえば聞こえがよいけど、モデルルームみたいに簡素にきっちりした部屋からは住人の温もりが感じられない。
 少しぐらい華やぎがあってもいいじゃないかと思って、ツリーをチョイスしたのだ。
「別に。不自由してないよ」
「あー! もう、うるさいっ! 飾るって言ったら、飾るの!」
 上にかかったかけ布団を足で蹴っ飛ばしながら、じたばたと暴れる。眠いのに、ぐだぐだとうるさい。
「うわぁー、出た。リョーマくんイズム」
 いつもわがままなのはリョーマみたいな事を言われて、放っておけずに口を開く。
「アンタの勝手にしょっちゅう付きあわされているんだから、これぐらいいいだろ」
「そうかな?」
 きょとんと素知らぬ顔で首を傾げる千石に、どっと脱力する。
「そうなの!」
 そんなやり取りで疲れたリョーマに、一気に眠気が訪れた。


 *

「オレの所にもねー、サンタクロース来たみたいだよ」
「そう。よかったじゃん」
 起き抜けなので、ぼーっとしたまま会話を続ける。
(……ああ、ツリーのことか。よかった。文句を散々つけておきながら、もらってみれば喜ぶなんて意外に子供だな)
「包み紙とかはがしていいよね?」
「見れないし、そんなのさっさとはがせよ」
「じゃあ、早速はがしちゃおうかなっ」
 ぱっと布団がはがれて、上に伸しかかられる。
(このパターン。すごく嫌な予感がする)
「あー! なんだよ、コレ!」
 すべすべしたサテン生地。真っ赤なワンピース。ふわふわの白いボワが胸元とワンピースの裾についている。
 よく考えなくても、サンタのコスプレ衣装だ。リョーマの足首には、赤いリボンが綺麗に蝶ちょ結びされている。
 着替えまでさせられて気づかなかったリョーマが鈍いのか、千石が器用すぎるのか。これは、どっちもどっちなのかもしれない。
「そー言うことで」
 ニヤッと締まりのない笑みを見せる千石に、反射的に一喝する。
「バカっ!」
「男の子だから、しょうがないの。リョーマくんに似合うかなって思ったら、つい買っちゃったんだもん」
 クリスマスだからいいでしょ?とオネダリされるが、そんなの理由にもならないと思う。
 物とか残る感じが好きじゃないとかシリアスなこと言ったクセして、こんなもん買ってるなんて。バカだ。バカでしかない。
 どんな風にしてこれを選んだのかと思うと怒るどころか笑えてきて、 クリスマスだからどんなにバカバカしくてもいいような気がリョーマもしてきた。感化されていて、非常にこの傾向はまずい。
(──でも、今日だけ。今日だけは……)
「サンタからの、キスあげる」
 千石の顔を引き寄せて、リョーマの方からキスをした。

 昼からリョーマの指示のもと、ツリーを着々と飾りつける千石の姿があった。
「電飾とかつけたくならない?」
 金と銀のリボンをツリーに巻いていたかと思ったら、ツリーの全体を方々から眺めこんでそんなことを千石が言っている。
(結構、気に入ってんじゃんか)
 最初から素直に楽しめないのは、千石の普段からの皮肉ったスタンスが悪いんだと思う。 数年後にこのことを恥ずかしく思っていたら、笑える。その時これ言って笑ってやろうとリョーマは考えながら、零れそうな笑みを押し隠す。
「用意してないし、来年ね」
「来年……ね。そういうこと言うと、鬼に笑われるよ?」
 日本の鬼と、西洋のサンタクロース。ふっと、頭にひっかかる。
「ねえ、鬼とサンタ、どっちが強いと思う?」
「そういう問題? リョーマくんって、面白い。うん、面白い」
「アンタの方が面白いよ」
 恒例のどたばた口喧嘩になりそうだった時に、ふいに窓にぽつぽつとつく氷の粒に気づく。
「あ……、雪降ってきた」
 リョーマと同じように、千石も気づいたらしい。
「雪って、好き?」
「好きじゃないよ。雪降ると、いろいろめんどいじゃん」
 やっぱり、そうなんだと、リョーマも相槌をうつ。
「けど……、リョーマくんと一緒に見るなら、雪も好きだと思うよ」
 静かな口調でそう言って、じっとリョーマを見つめる。
 リョーマが何か言いかけた時に、
「あ、遠慮なく、オレに惚れてくれていーよ」
 アイドルのように決めたスマイルをキラッとリョーマに見せつける。
 バーカと素っ気なく言いながら、軽く千石の脇腹をつねった。
 特別というものが、あったらしい。クリスマスに雪が降るのも、いいかもしれない。
 あっさりと変わった意識が衝撃的でもあり、それが千石に既存しているかと思うと尚更気恥かしくなった。






Blackの「49:certainly」と対になる話で、同じクロスミ設定です。「26.今何時だと」とも少し関連あり。
リョーマの誕生日は24日なので、クリスマスも一緒に祝ってみました。
サンタのコス衣装は入念なチェックの末に、手に入れていたに間違いないです。

08.12.24 up

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