チョコラブ



「なんで、俺がホワイトデーまでつきあわなくちゃならないの。そもそも、アレって俺のあげたチョコじゃん」
 ここにはいない恋人への文句を、ぶつくさと盛大につく。
 そう言うことを考えていると、余計に理不尽な思いも増してくる。
 苛立ち紛れに空に拳を打とうとして、すんでの所で思い留まる。バランスが崩れると不味い物を、右手に提げていたのを思い出したのだ。
 なにか腑に落ちないと首をひねりながらも、恋人の待つ家へと足を進めていた。



***

「──リョーマくん、ひどいよ! それ、すごく食べるの楽しみにしてたのに〜!」
 空っぽになった箱を見た清純がそれを指さしながら、金切り声をあげる。リョーマは、耳を押さえた。
「そんなの、アンタがすぐに、食べなかったのがいけないんだろ。あげる時に、そう言ったじゃん」
 悲しげな清純とは対称的に、リョーマはけろっとした顔だ。
 お腹が空いていて、たまたま机の上を見たら見覚えのあるチョコがあったので食べた。ただそれだけだし。
「そもそも、あげてから何日経ったと思ってんの? あんな所に放っておくアンタが悪いんだよ」
 それで、この話は終わりになるはずだった。
 この後のやり取りを思い出せば、リョーマの中でだけだったみたいだ。
「放っておいたんじゃなくて、いまは眺める時間だったの。今日こそ、ほんとに食べようと思ってたんだよ」
 チョコの一欠片でも残っていれば涙を流して舐めそうな勢いで、チョコへの愛を切々と語る。
「それに、リョーマくんにもらった初めてのチョコだったんだもん。大事にちょっとづつ食べたかった……」
 はぁと、切な気にため息。この悲痛さを漂わせた憂鬱顔が、たかがチョコが食べられただけで作られる。
(そんなこと、誰も思わないんだろうな)
 こっちがため息を吐きたいと、思った。
「あとね、食べるのもいいよ。……けどさ、だからって、全部食べちゃうなんてひど過ぎると思うんだ」
「俺があげたチョコを、俺がどうしようと勝手だろ!」
 いい加減、相手をするのが面倒になってきたので、リョーマの声のトーンも跳ねあがってくる。
「オレにあげた時点で、チョコの所有権はオレに移ってるの!」
リョーマくんってさ、ちょっと自分勝手すぎるよね……。
 ぼそっと、清純が不貞腐れ気味に呟いた。
「……なに、それ?」
 唖然とする。勝手なのはアンタの方じゃないかと、非難するような目を向けると、虐げられている振りをしてきた。
 膝を抱えて、小さく丸まっている。
「シクシク、シクシク」
 そのままの姿勢で、夏のセミのような物悲しい鳴き声で鳴いている。
「擬音を口で言うな! うっとうしいんだよ」
 手近にあった枕を、適当に放り投げた。
 いつの間にかくすんくすんと鼻を啜りあげて、嘘かほんとか泣いているみたいだ。
 男でも女でも泣かれるのには、弱い。元々、自分が少し悪いし。
 全部食べたのは、予め宣言していたとはいえ可哀相だったような気も……。
「それくらい、また作ってやるよ」と、つい口に出してしまった。
「それ、ほんと?」
 ぱあっと、喜びに顔を輝かせて、リョーマを見あげる。その顔には、涙の跡など一切なかった。
 しまったと思ったが、もう遅い。口に出してしまった。
「……ま、まあ。気が向いたらね」
 頬を引き攣らせる。やけに乗り気な清純の様子に、引いていた。
「気が向いたらなんて、やだ。んじゃ、ホワイトデーに、オレにちょうだい。それで、今回のことはチャラにするから」
 名案を思いついたとでも言いたげな得意気な声だ。
「なんで、そんな話になるわけ?」
 どこをどうすれば、そうなるんだ。この思考回路は、なんなんだろうか。
 自分の都合のいいように出来てるに決まってるけど、おかし過ぎる。
「バレンタインのチョコをリョーマくんが食べちゃったんだから、オレにお返しが来るのは当然でしょ?」
「は? その展開、わけわかんないんだけど」
「じゃあ、返して。リョーマくんのチョコ、オレの大切なチョコラブを……!」
(ただのチョコに名前まで、つけんなよ…)
 うるっと涙ぐむ清純を見て、リョーマはやむをえず降参の白旗を揚げたのだった。




「───いらっしゃい!」
 リョーマくんが来たと思って玄関のドアを開けたのに、一番に入って来たのは招かれざる客、いや家人だった。
「清純、お湯沸いてる? 私、紅茶飲みたいから、越前くんの分と一緒に入れてね」
「な、なんで、姉ちゃんが、リョーマくんと一緒にいるわけ? 今日は、貢物を受け取りに行く日でしょ? 皆、待ってるよ」
 姉の可憐だった。今日は、前述の通りにホワイトデーだから、絶対家にいないと思っていたのに。
「いいのよ。ちゃんと、家に届くから。私が行くなんて、面倒じゃない」
 綺麗にウェーブした髪を手で背中になびかせて、フフンと鮮やかに笑う。
 これが身内で、性格を知っていなかったら見惚れていたかもしれないが、清純的には 悪魔の微笑だった。
「キヨスミ、なに固まってんの? 暇なら、これ持っててよ」
 荷物が邪魔でどこに置くか迷ったリョーマは、ショックで言葉を失っている清純に押しつけて、靴を脱いだ。

「わあっ、すごい! これって、手作りなの?」
 リョーマが持ってきた物は、チーズケーキだった。チーズが程よく焦げて、茶色になった表面が食欲をそそる。
「そうっス。従姉の菜々子さんと一緒に作ったんです。可憐さんに、お返しにと思って。甘い物平気でしたよね?」
「そんなお返しなんて、別にいいのに。わざわざありがとう。嬉しいわ。早速、頂いてもいい?」
 リョーマがこくりと頷くのを見て、可憐が心からの笑顔を見せる。
「清純、取り分けるお皿と包丁持ってきて」
 リョーマへ話し掛ける時の鈴の音を転がすような声とは打って変わって、弟に指示する時は一オクターブ位低い声だ。
「…………姉ちゃん、手作りは百害あって一利なしって、前から言ってなかった?」
 ありえないことを聞いて、自分の耳を疑った。目の前で、突っ返しているのを見たこともあったし。
「そんなこと言うわけないじゃない。手作りって、愛情がこもってていいわよね」
 首を傾げて、リョーマに相槌を求める。
 姉の不気味な笑顔はともかくとして、対面式のキッチンから抜け出して、リョーマの側にだっと駈け寄る。
「いつの間に、そんな危険なチョコもらってたわけ? そういうのはね、すぐ返却しなきゃダメだよ。お返しは、五十倍返しが鉄則で、そんじょそこらの暴力団 の 金 利より高いんだよ! 今から箱だけでも、返した方がいいよ!」
 必死な様子の清純がおかしくて、リョーマはクスッと笑う。
 だから、笑ってる場合じゃないんだってと、続けて言おうとした口が可憐の方を見て強張った。その手に、ガラスの灰皿をさりげなく握っていたからだ。
「清純……。越前くんに、失礼なことを吹き込まないでよ。私が、そんな事するわけないじゃない」
ねえ、越前くん。リョーマの肩に、手をかける。
 私がするわけない=相手がするって、意味だよ、絶対!
 口には出せないが、目ではそれを必死に訴えていた。
「そうだよ。チョコあげただけで、そんなのありえないし」
 大げさに訴える清純の方がおかしいと、リョーマから逆に疑惑の眼で見られた。
「それがありえちゃうのが、姉ちゃんなんだってば!」と、声を大にして……、姉に厳しく睨まれてさえいなかったらそう言えたと思う。多分。
「あれ……? じゃ、リョーマくん。オレには?」
 思わぬ姉の登場ですっかり忘れていたけど、家にリョーマくんが来るメインはそれだったはずだ。
「これだけど」
 ホールのチーズケーキを指で、さされる。期待していた事とは全く違う答えが返ってきた。
「大きいから、ちゃんとキヨスミの分もあるよ」
「えぇ!? オレだけじゃないの?」
 ガクッと、ショックで肩を落とした。
「なに、増長したこと言ってんのよ。何ももらってなくても、アンタがあげるのが筋じゃないの? アンタの分まである事に、まず感謝しなさいよ」
 ショックを受ける弟に、更に突き落とすコメントをつける。
「あ、お湯沸いたみたいだよ」
 ピーピーとけたたましい音を立てて、お湯が沸騰したことをケトルが知らせる。
 そりゃリョーマくんはお客さんだから座っててもいいと思うし、オレがやるのは当然だけど、その隣に座って姉が楽しそうにしているのがどうしてもわからな い。
(リョーマくんの隣は、いつもオレの指定席なのに……)
 涙を心に押し隠し、姑にいびられる嫁の気持ちを我が事のように感じながら、火を止めにキッチンに戻った。



 いつまでも、こんな風に落ち込んでてもしょうがないよね。
 リョーマくんの手作りのチーズケーキだって食べられた訳なんだから、これはいい方だ。
 大問題だったの は、姉が一緒にいたことだ。リョーマくんは、非はない。

 室町くんから返せって言われていた漫画、そろそろ返さなきゃいけないんだったっけ。
 急に思いたって、寝そべっていたベットから、さっと起きあがる。
 どこに入れておいたか思い出しながら、机の引出しを下から開けていると、ラッピングされた箱が出て来た。
「あれ……?」
 こんな所に何か入れた覚えはないけど、この包み紙には少し見覚えがあるような気がした。
 開けてみると、ルーズリーフの切れ端に、気持ちそのままのように流れる文字が書いてある。

『あんな文句、二度と言わせないから。今日が明けるまでに、絶対に食べ終えること!三度目は、ない』

 なんて凶悪で、最高なメッセージなんだろ。
 嬉しくて、笑わずにいられない。前と同じチョコだ。今日の為に、また作ってくれたんだ。
 冷たくされて、ふいに優しくされると、女はころっと落ちるって言うベタなテクニック。
 前から何度も使っていたけど、いざ自分で受けてみると本当ハマるよなあ。これは、効くわ。効きすぎる。
 オレで、実践データが取れるかもしれない。そうじゃなくても、あの子に落ちまくりだから、参考データの一つにもなれないだろうけど。オレは、イレギュ ラー のままでいいや。

 このまま食べようと思ったんだけど、やっぱりもったいなくて、また写メで撮影をした。ほんの五枚ばかり。






記念と言っては、なにかと取っておくタイプと清純を認識しています。Give me chocolateの続編です。
06.03.14 up

BACK