桜色春望


 卒業式を終えて、式場を出た途端、箍が外れたようにはしゃぎ声をあげる集団。誰かと思えば、クラスでよくつるんでいる佐藤達だった。あまり考えたくない け ど、類は友を呼ぶとか言われていたらイヤかも。
 あちこ ちで、すすり泣くような泣き声も聞こえる。友達に抱きついて、泣いている女の子が いた。
 その顔を見て、声を出さずに目を見張る。気の強い方で通っているあの子の方が泣くなんて、予想外だったから。
 逆に、大人しい子だと思っていた子が慰めている。 こういう時に、人間の本質がわかるのかもしれない。

 肝心のオレはどうかと言うと、卒業式だからといって泣く程の感傷はない。
 高校も持ちあがりだから、大体の友達と一緒だし、男がこんなことで泣くなんて女々しいという空気もあったし。
(打ちあげまで、どう時間を潰そうかな。一度、家に帰ろうか。それとも、あっくんでも誘って……)
 途中で人に捕まりながら、別れを惜しむ人で混雑する校門までようやく辿り着いた。
 彼の姿を見かけた瞬間、周りの賑やかな音が耳に届かなくなった。
 白い制服に囲まれた中で、一際目立つ黒の学生服。そこだけが静かで、鮮やかに浮き出ていた。


 校舎の裏にまわると、異常気象の関係か桜の咲く季節が年々前倒しになっているとかニュースで聞いた桜が、もう咲いていた。地球的危機なんて別次元で、咲 い ている桜はただ綺麗だった。
 薄紅色の可憐な花びらが風で揺らめきながら、雨のように切々と積もってゆく。
 地面の上はすっかり薄紅色に侵食され、元の土の色が薄っすらとしか見えなく なっていた。
「キヨスミ、卒業おめでとう」
 ずっと黙ったままだったリョーマが、儀式でもしているように厳かな口調で祝福してくれた。
「……ありがとう。リョーマくん」
 ここまで会いに来てくれた気持ちが嬉しくて、式で返事をした時よりも一つ一つの言葉を大事にして伝えた。
 リョーマくんが中学二年生になって、オレはピカピカの高校一年生。
 これで、なにかが変わるのかな……。変わらないものがあるのかな。
 オレの方が目線を少し下げると丁度よくなるこの身長差は、とりあえずまだ変わらない。
「卒業祝いとか、なんか欲しい?」
 気前よく尋ねられたので、下から桜を見あげながらじっくりと考える。

 リョーマくんと初めて出会った時も、まだ桜が咲いている季節で……。
 ボールをぶつけられて気絶した上に、地面に放置されたままで、恋の花咲く余地なんてどこにもなかった。
 そんな最悪な出会いが始まりだったのに、今じゃ彼を欠かすことなんて考えられない。
 腹が立って文句を言いにいったのに相手にしてもくれず、おまけにオレのことを覚えてすらいなくて。
 最初から、彼には調子を狂わされまくりだった。
 得意のテニスで負かしてあげようとしたら、逆にこてんぱんにされて、オレが自信喪失する羽目になるし。
 立ち直るのにかなりの時間がかかって、テニス事態を見直すキッカケになった。
 半ば意地になって青学に通うようになって、彼の事がムカつくんじゃなくて、好きなんだってことに気づいた。
 告白しても、クールな態度は変わらないままで、それ所か余計冷たくされた気がする。
 今日みたいにリョーマくんの方から尋ねて来てくれるなんて、あの当時からすると考えられないことだった。

「……物はいらないんだけど、覚えてて欲しい」
 桜の木に寄りかかって待っていたリョーマが、それを聞いて瞳を開ける。
「中三だっていうのに、バカだったオレのこと。リョーマくんの事が好き過ぎて空回りしてたけど、必死だったオレのことを」
 当時のことを思い返すと、自分の事ながらなんて恥ずかしい奴だったんだって思う。
 可能なら、押入れの奥の誰にも見えない所に隠してしまっておきたい。
 かっこ悪くて情けないし、惨めなくらい卑屈だったりして、その癖、調子に乗りやすかったりとかして、とにかくダサい。それに、鬱陶しい奴でもある。
 ──だけど、そんなオレがいなかったら、いまここにリョーマくんと一緒にいられない訳だから。
 過去のがむしゃらに頑張ったオレのことを、現在のオレも胸に刻み込む。
 適当がモットーだったオレが、初めて本気になった時の想いを忘れないように……。
 桜の花びらの雨越しに、リョーマの瞳を見つめた。
「それさー、現在進行形じゃないの? 言われなくたって、アンタみたいな印象的な奴、忘れられるわけないと思うんだけど」
 意地悪そうな顔で、ニヤリと笑われた。そんな顔とは違って、すごく優しいことを言われた。
 リョーマくんだけはオレと違って、昔と変わらずに天邪鬼のままだ。ある意味、わかりやすい。
「そーいうことで、お願いします」
おまけに、リョーマくんからのちゅーがあってもいいよ?
 んーと、リョーマの目の前に先を尖らせた唇を突き出した。
 何度もしているから恥ずかしがらなくてもいいはずなのに、バカと言ってそっぽを向かれた。
 このタイミングだけは、未だに読みきれない。たまに、成功するからやめられないけど。

「リョーマくんが先輩かー。越前センパ〜イなんて、呼ばれちゃうんだ。不思議な感じだよね」
「アンタも、今度は後輩からスタートでしょ」
「……ねえ、先輩がいなくなって、寂しくない?」
「別に……。会おうと思えば、会えるし」
 早口で、素っ気なく言い捨てる。こういう時の彼は、まだ何かを隠している。それが今では、わかるようになった。促すように、手をそっと握る。
「でも、……部室に先輩達がもう来ないんだって考えると、ちょっと寂しい……かな」
 うっかり本音を漏らしてしまった自分を恥じるように、微かに羞恥の笑みを見せて、目を伏せた。
 つきあうようになって、ようやく自分にも感情の片鱗を見せてくれるようになったこの子が本当に愛しい。
「オレも、そうだよ。室町くんとか壇くんや皆が一緒だった山吹中テニス部じゃもうないんだって思うと、心に穴が空いたみたいで寂しい」
 互いを慰めるように、桜の木の下で静かに抱きあった。
 ほんの少し距離が狭まったというだけなのに、心に安心感が増していく。
「ホントはさ、卒業したくなかったんだ。このまま皆で、ずーっと一緒にいたかった」
 頭ではそんなこと無理だってとっくに理解していて、このままでいられないって言うのも充分にわかってるつもりなんだけど、それでも衝動的な思いだけが止 め られない。
 おでこもぴったりとくっつきあって、瞬きの回数も確認出来る位の至近距離。
 それぞれの瞳に、合わせ鏡のように互いが映り込む。
「ここから、また新しくはじまる。……でしょ?」
 迷いのない瞳が強い意思を示す。魅入られたように、その瞳を凝視する。
「うん。そうだよね」
 頷いて笑って、唇にいつのまにか貼りついていた桜の花びら越しに、中学生だったオレからの最後のキスをした。


 頭に積もっていた桜の花びらを払いながら、歩き出す。
「この後、皆で打ちあげがあるんだけど、リョーマくんは?」
「俺も。河村先輩のお店で」
 なのに、式が終わってすぐに、オレに会いに来てくれたんだ。
 一人で抱え込んでいたものが、それだけで解放された気がする。
 春が来た温かさを、初めて実感として感じた。

「オレ達はさ、また明日会おうか?」
「今日も、結局会ったじゃん」
 毎日でも会いたい。君が変わっていくのを、一瞬でも見過ごしたくないから。
「いいの! 明日、会おうね」
 もう約束したから!とテンションも高く声を張りあげて、勝手に約束を取りつけたことにする。
「わかった。覚えてたらね」
 どこが変わったのかと呆れ顔で、それでも約束してくれた。

 それぞれ道の反対側に進んで、様子が気になって後を振り返ると、同じタイミングだったのか目が合う。
 こっちを見て悔しさと恥ずかしさが入り混じったような複雑な顔をする彼に、オレは最高の笑顔で手をふった。
 それには応えてくれず、くるりと背を向けてそのまま走っていかれてしまった。
 その理由も、明日聞こう。また怒られそうだけど。オレの想像通りだったら、嬉しいから。
 携帯に新しいスケジュールを、早速打ち込んだ。






桜=卒業式。変わらないとは思っているけど、ほんのり切なくて寂しい。言葉に出来ない微妙な思い。
06.04.03 up

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