好きと言えないジレンマ



 『好き』
 言葉にしてみれば、たった二文字の単純な言葉。
 そこに自分の気持ちを込めて相手に伝えることがあんなに難しいなんて、キヨスミに会うまで俺は知らなかった。
 自分のプライドばかり高くて意地っ張りだった俺は、キヨスミに最後まで言ってあげることが出来なかったんだ。
 ──アンタのことが、俺も好きだって言うことを。



 惜しげもなくキヨスミからは毎日言われてたのに、恥ずかしいから人前で言うなよって、そんな冷たい態度でいつもあしらってた。
 好きだと言われる度に心が温かくなって、こんなことで喜んでいる自分が恥ずかしかったけど、本当はすごく嬉しかったのに。
 そんな自分をどうしても認められず、キヨスミにも素直になれなくて憎まれ口ばかりたたいていた。
 それでも、キヨスミが明るい笑顔を浮かべていたから、それを見て俺はいつも安心してた。
 自分の気持ちは一片たりとも見せないくせして、キヨスミの気持ちにどっぷり甘えてたんだ。

 いつの頃からか、気がつけばキヨスミからなんにも言われなくなっていた。
 キヨスミの顔にも笑顔が浮かばなくなって、二人で一緒にいても笑顔でいる時間より、気詰まりな沈黙でいる時間の方が多くなった。
 元からこんなことには慣れてなかったからキヨスミに言われなくなると、益々自分からは好意を訴えられなくなってしまった。
 言い出そうとしても、いままでの罰なのか口が強張ったように動かなくなっていた。
 
 ……心を共有しない二人の前には、もう別れしか待っていなかった。


「──リョーマくんから、まともに好きだって一度も言われたことなかったよね。それが、俺だけの思い込みみたいで辛かった。……もうさ、一 方通行な思い は終わりにしたいんだ」
最初から最後まで、俺のわがままにつきあわせちゃってごめんね。
 これが最後のつもりだからか、唇だけ上につりあげたような無理やりな笑顔で、こんな顔をさせているのが自分の所為だとしても、やめろよ!って言いたかっ た。
 アンタのこんな顔が見たいんじゃない。アンタにこんな顔をさせたいんじゃないんだ。
 中に入れた親指がじんと痛くなるほど、丸めたこぶしを堅く握り締める。
 乾いている喉を湿らそうと、無理やりごくりと微かにあった唾を飲み込む。大きく息を吸った。
「そんなことない。俺だって、アンタの事が……、」
 前から好きで、いまでも好きだって、今日こそ本当の気持ちを伝えようって思った。

「気を使ってくれなくていいって。これで、お終いなんだから」
 そう言って微かに笑ったキヨスミの顔が最近見た事がない位、すっきりとした顔をしていた。
 もう俺のことを忘れて楽になりたいんだって言うことが解ったから、出しかけた言葉を腹の奥にしまい込んだ。
 下を向いていた顔をあげると、何も言えずにいる俺を置いて、そのまま遠ざかっていこうとするキヨスミの背中が見えた。


 冷たい風に吹きさらされて、身体を震わせる。いままで温かかったのは、キヨスミが隣に立っていてくれたからだ。
 そんなことに今頃気付いても、遅いのに……。もう側にいないいまとなっては、辛いだけの事実だ。
 まだ微かに見えるキヨスミの姿を虚ろな瞳で見つめていると、キヨスミとのいままでの楽しかった思い出が蘇ってくる。
 アンタと別れたくなんてないって言って、もっとダダをこねればよかった。
 もう無理なのかもしれないけど、キヨスミのこと追いかけたい。

 ──これを逃したら、もう二度とキヨスミと会えなくなるかもしれない。
 そう思った瞬間、寒さで痺れて感覚がなくなってきた右足に力を入れて、その足で地面を蹴って走り出す。
 まだ間にあうことを信じて、キヨスミの小さくなっていく背中を後から追いかけた。




***

(……え?これ、まさかの夢落ち?)
 がばっと伏せていた顔を勢いよくあげると、机の蛍光灯の白い光に眼を焼かれる。
 それを手で右に移動させながら寝ている間に痺れた右手をどかすと、さっきまで数学の宿題の問題を解いていた途中の状態で止まっていた。さっき見た夢に影 響 されたのか、目尻から涙が溢れていた。
 これって、ホントじゃないよね。あれは嘘で、ただの夢、だよね……。
 本当に安心していいのか不安になって、充電器に繋いであった携帯に手を伸ばした。
 電話じゃだめだ。こんな宿題なんかしてる場合じゃない。
 いますぐ、キヨスミに会いに行かなくちゃ。いまじゃないと、ダメだ。
 乱暴にノートを閉じて、手に持ったままだったシャーペンを部屋の中に適当に投げ込んだ。

(キヨスミ。キヨスミ。キヨスミ……)
 訳の解らない焦燥感に捕われながらキヨスミの名前を心の中で、何度も呼ぶ。自転車を漕ぐ足に、力を込める。
 外は寒いのに額から流れる汗もそのままにして、ひたすらキヨスミの家を目指して自転車を走らせた。


(街灯で浮かび上がるあの目立つ白い制服って──、キヨスミ!?)
 キキーッとけたたましい音を立てながら、キヨスミらしい人の前でブレーキをかけた。
「キヨスミ……」
 夢で見た時と同じ山吹の制服を着ている。その間が抜けた顔を見て、俺がこんなに心配してたのに!と、やつあたりしそうになったけど、いくらなんでもそこ ま で理不尽な事は出来なかった。気持ちを落ち着かせようと、一呼吸置いた。
「わっ!? リョーマくんじゃない。どうしたの? こんな時間に」
こんな夜遅くにふらふらしてると、不良になっちゃうよ。そう言って、キヨスミは身体を揺らす。自分で自分の言ったことがおかしくなっているみたいだ。
「じゃ、アンタはなんなんだよ」と、キヨスミにいつもの軽口をたたいた。
 会えて良かった。普通に笑ってくれてるし、あれは夢だったんだ。
「俺は、もう不良だもん。平気」
どこか行く途中だった?なら、俺も一緒に行くよ。
 自転車を降りて押して歩く俺の隣に、キヨスミが並ぶ。自転車のライトが微かに前方を照らしているが、辺りは薄暗かった。

 ──いまなら、キヨスミに言えるかもしれない。

「……アンタに、会いに来たんだ」
「え? ほんとに?」
「ほんと。すごく会いたかった」
「嬉しいなぁ。俺も、リョーマくんに会いたかったよ。今日は、ラッキーデーだったのかもね。明日も、この調子でラッキーだといいんだけどね」

 どうして、こんなことが惜しげもなく言えるんだろ。俺には、絶対真似出来そうもない。
 さっきまでのことを言うのでさえ、勇気がいったのに。
 でも、今日は、今日だけは、今日こそは、言おうと思った。
 あんな恐い夢が現実になったら、イヤだから……。

「俺……、キヨスミのこと結構好きみたい」

 あー、バカだ、俺。なんで、キヨスミみたいにうまく言えないんだろ。
 もっと普通に好きだとか、大好きとかが、なんで言えないんだ。これじゃ、伝わらないじゃん。
 それを聞いて、驚いたように目を何度もぱちくりした後、キヨスミが満面の笑みでニコッと笑った。
 どうしよう。大好きかも。キヨスミのこの笑顔。
 自転車を押してなかったら、そのまま勢いで抱きつけたかもしれない。

「すんごく嬉しい! だって、これをわざわざ俺に言う為に、会いに来てくれたんでしょ?」
「別に……。コンビニに行くところだったから」
「こんなに、遠くのコンビニにー?」
「そういう気分だったんだよ」
「そうなんだ。まー、でも、リョーマくんの不思議気分に乾杯だよ!」

 興奮したままやって来たけど、言い終わるとやっぱり恥ずかしくなってきた。
 でも、少しでも言えてよかった。
 今度は、ちゃんと好きって言おう。
 また今度があったら、大好きってキヨスミに言おう。

 自分の自転車をキヨスミに漕がせて、頭の中で薄っすらとキヨスミへの言い訳を考えながら、まだ言葉に出せないでいる思いを伝えるように、大きな背中に後 ろから抱きついた。

 この日は、満月がぽっかりと浮かんでいる夜だった。






ボタンを掛け違えるとこうなるかもしれない予知夢っぽいです。たまには素直になってみるのも、いいかも。
06.02.21 up

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